2014年3月17日月曜日

【3日間の】続・はじめて海外に行ったときの話【スラム生活】


こんにちは。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

私はというと相変わらず自堕落な生活を続けております。具体的に言うと録画しっぱなしの番組見たり借りたままのゲームやったりですね。
先日は医龍4の麻酔医の回を何故か2回も観ました。医龍面白いですよ。というか麻酔医は本当ずるいくらい良いキャラしてますよね。

さて、今回は前に上げた話の続きです。私が初めて海外(フィリピン)に行ったときのことですね。
簡単に前の内容を書くと、「初めての海外で浮かれてたらいつの間にかデスマーチ(炎天下の山登り)が始まっていた」というものです。
そうなった原因はスタディツアーの主催者である中西先生のお茶目さです。
さすが先生!私たちにできない事を平然とやってのけるッそこにシビれる!あこがれるゥ!
※念のため書くと、先生はとても良い人ですし尊敬しています。

中西徹先生についてはウィキペディア等を、ツアーの概要についてはhttp://www.ut-life.net/study/zenki/lecture/economics/ をご参照ください。

前回は2週間の日程のうち5日目までを書いたので、今回は6日目から最終日までになります。


ツアー6日目である201192日。
前日にサマール島から首都マニラに戻ってきていた私たちは、フィリピン大学(UP: University of the Philippines)の日本語クラスの生徒たちと交流しました。




UPの日本語クラスの人たち。

UPはフィリピンで最も難関といわれる国立大学で、日本でいう東大のようなところです。このUPディリマン校のキャンパスで、その後私は留学中の1年間を過ごすことになります。

フィリピンは親日的な国で、日本のアニメや漫画は特に人気があります(この日会った生徒の一人はパソコンの待ち受けがカードキャプターさくらでした)。
そんな日本好きの生徒たちが私たちのためにこの日歓迎会を開いてくれました。そこでは一緒にゲームをしたりおやつを食べながら話したり、簡単なタガログ語を教わったりしました。
ちなみにUPの生徒ともなると英語はかなりしゃべれます。一般的な東大生とは多分比べ物にならないくらい上手いんじゃないでしょうか。なのでここでの会話は基本英語、ときどき日本語です。私の英会話力はこのとき東大生平均よりもかなり下のレベルだったのでなかなか大変でしたが、向こうからたくさん話しかけてくれたので楽しむことができました。
日本語クラスの何人かとは留学開始後も会ったりして、今でも良い友人です。


7日目はマニラにある最大級のスラム、スモーキーマウンテンに行ってきました。
正確には初代スモーキーマウンテンは既に閉山しているので、その近くのごみ山に行きました。
が、ここについてはさらっといきます。
これこそ詳しく書けよって感じだとは思うのですが、正直あんまり覚えてない……。写真も残っていないし(ツアー中の写真が極端に少ない理由は前回参照)。留学中にも訪問したので記憶が混ざっているというのもあります。
ただ、思っていたよりもきれいで、悪臭がしても鼻とか口を押さえたりすると住民の方に失礼になるからやらないでね、とか注意されたわりにはそんなに臭いもなかったなっていう印象でした。
とはいえやっぱりそこで暮らすのは大変らしく、留学始まってから色々とわかったこともあるのですがそれはまた別の機会に。


8日目はUP生によるプレゼンテーションを聞きました。
ここでプレゼンしてくれたのは、この後の日程で訪問するスラム出身の生徒たち5人です。フィリピン最高峰の大学に行っているだけあって発表はクォリティが高かったです。
ちなみに、夜はこちら側の代表として院生の先輩が3.11についてのプレゼンをしていました。実は一番印象的だったのは先輩のだったりします。完璧すぎる英語と内容という意味で。
これ聞いた時はさすがに焦りましたね、「それに比べて自分はこんなんでいいのか」と。というかこのツアーなんか超人みたいな人が多数参加していたのでそういう点ではとても辛かった……。
他人と自分を比べるとろくなことがありませんね。


さて気を取り直して9日目。
この日はUPロスバニョス校の授業に参加させてもらいました。前日の5人はこのロスバニョス校に在籍しています。
授業内容はフィールドワークで、マニラからみて南東のラグーナ州にあるフィリピン最大の天然湖「バエ湖」とそのそばの「カリラヤ湖」という人口湖を訪れるものです。



カリラヤ湖。周りにあまり草が生えていないのは土に栄養がないからだそうです。

ここでは二つの湖の役割の違いや、この地域がとりくんでいる環境問題対策などについてレクチャーを受けました。


10日目はヌエバ・エシハ州(マニラから車で北へ5時間)にあるGratia Plena Social Action Centerという NGOを訪れました。
フィリピンではかなり多くのNGOが様々な分野で活動していて、ここもそのうちの一つです。
活動のメインは「地域作り」で、宗教的な集まりをベースにして協同組合や住民組織をつくるサポートをしているそうです。
またこの地域の住民は農家がほとんどなので、活動の一環として有機農業のプロジェクトもしています。
色々と面白そうだったので、私はそれなりに関心を持って話を聞いていたのですが…正直半分くらいしか理解できなかった気がします。かなり訛りがキツかったのと、当時私にコミュニティ開発の知識が皆無だったのが痛かったです。ここ、多分この半年か1年後に行ったら何倍も良く理解できたんだろうなと思うととても悔しいですね……。


さて、11~13日目はいよいよスラムでのホームスティです。
このスラムは中西先生が長年研究を続けている場所で、マニラにあります。このホームスティはツアーの目玉で、一人一人違う家庭に23日お世話になります。現地の生活を生身で体験できるとても貴重な機会です。

(なお残念ながら、スラムの中の写真は今回一つもありません。これは私のカメラが「写ルンです」だったせいではなく、人々は土地を不法占拠して住んでいるので、何か問題が起こってはいけないからとスラム内部が写った写真のアップロードはしないように言われているからです。)

ここのスラムは、大きめな道路から伸びる一本の路地から始まります。中は細い道が複雑に入り組んでいて、一度来ただけではまったく覚えられないような作りになっています。地面はコンクリートで舗装されていて、その上にしゃがみこんで手桶で洗濯をしている女性があちこちにいました。ゴミはそれなりに落ちていますが臭いはなく、イメージとしては日本の路地裏とあまり変わらない感じです。
建物はブロックでできていて、あまり大きくはありません。住んでいる人数に対して土地が狭いからかもしれませんが、意外と2階建てが多いです。

フィリピンというと大家族!というイメージがあったのですが、私がお世話になったB一家はお父さん、お母さんと2人姉妹の4人家族です。お姉ちゃんが13歳、妹ちゃんが4歳です。
とはいえすぐ向かいにおばあちゃんといとこの女の子が住んでいて、他にもいろいろな子がしょっちゅう遊びに来るのでとてもにぎやかで退屈しません。

Bさんの家は2階建てで、たしか1階が奥のキッチンを入れて6畳、2階が4畳くらいでした。スラムにある家は大体その住民が自力で立てていて、この家もお父さんの手作りです。階段や2階の床もお父さんが作ったと聞いて正直最初のぼるのが怖かったのですが、ギシギシいうこともなく安定していました。中の壁には家族写真がたくさん貼ってあり、家族を大事にしていることが一目でわかります。

しかしそういったことよりも驚いたのは、圧倒的な量のハローキティグッズ。え、ちょ、多くない?というくらいのキティぬいぐるみが棚や椅子の上など色々なところに置かれていて、またステッカーなども貼ってありました。もちろん決して裕福なわけではないので生粋のコレクターの人ほどは無いと思いますが、お金に少しでも余裕ができたら全部キティにつっこんでるんじゃないか??とすら思わせる感じでした。あと部屋の中全体的にピンク色が多いです。娘さんの趣味かなと思ったのですがどうもお母さんの趣味だそうで、可愛らしくて素敵な方だなと思いました。いや本当に、それに比べて私の部屋の殺風景さといったら。

あと、1階にはテレビがありました。ブラウン管タイプのものですがもちろんちゃんと映ります。子どもたちは日本のアニメが好きだったので、ハンター×ハンターを一緒に観ました。まさかフィリピンに来てハンター×ハンターを観るとは予想していませんでしたが。
実はツアー前半に行った離島の村ですらけっこうテレビが普及していて、フィリピンでは貧しかったり田舎に住んでいたりする人でもほとんどがテレビを見る機会があるようです。

このあたりから、スラムに住んでいる人でも「娯楽もない、生きるか死ぬかギリギリの生活」を毎日しているというわけではないということがわかります。部屋を好きに飾ったり好きなテレビを観たり、というのは私達と変わらないですね。

でもやっぱり日本とは大きく違うところもありました。その筆頭がシャワーとトイレです。シャワーは水道から出る冷水をバケツに溜めて手桶で体にかけます。トイレは見た目普通の洋式ですが、流れないのでまたも手桶に水を入れて手動で流します。あとトイレットペーパーは置いていない(これはスラムに限らずフィリピンのトイレの大半が置いてない)ので、紙を持参するか水で洗うことになります。

衝撃的だったのは、初日の夜にバイク4人乗りを体験したことです。確か少し離れた親戚の家に私を連れて行ってくれたんだと思いますが、お父さんが妹ちゃんを抱えこむ体制で運転してその後ろに私が座り、さらにその後ろにお姉ちゃんが座るというかなりギリギリな状況……。このツアー中一番怖かったのはこれかもしれないです。
今となっては全然平気ですが…当時はけっこうビビりましたね。
でも月の綺麗な夜にドライブするのはなかなか気持ちよかったです。

あとは、とにかく子供たちとしゃべったり遊んだりしていました。B家の姉妹以外にもたくさんの子供たちが寄ってきてくれました。小さい子たちは英語がまだあまりしゃべれないので「指差し会話帳」というタガログ語会話本を使ってしゃべったのですが、これとても便利なのでオススメです。食べ物や色といった基本単語だけでなくフィリピンで人気の芸能人が写真付きで載っているページもあるので、それを子供たちに見せながら「このなかで誰が好き?」と聞くだけで「私は○○!」「僕は△△!」と嬉しそうに教えてくれました。
ここの子たちは毎年日本人が来るから慣れているのか、みんな積極的に話かけたりくっついてきたりしてくれました。とっっっても可愛かったです。ほんと写真をアップできないのが悔やまれます。 

そんなこんなであっという間に3日間は過ぎていきました。
最後にB家のお姉ちゃんから日本語で書かれた手紙をもらったときは、嬉しくて少し泣けました。


向かいのおばあちゃん(B家のお父さんの母)からたくさんいただいたお土産。全て手作りで、新聞紙やチラシでできています。

このスラムの方々は先生と付き合いが長いので人柄が悪いとは元から思っていませんでしたが、実際会ってみると予想以上に普通の人たちでした。良い意味で。
スラムで辛い生活を生き延びたせいでスレた性格になっているということもなければ、教育レベルが低くて頭が悪いということもありません。というかむしろスラムの中は人と人とのつながりが濃く、みんな家族のような温かい人間関係がありました。
それまでスラムに対して持っていたネガティブなイメージがかなり大きく変えられた3日間だったと思います。


こうして全ての行程を終えた私たちは、無事日本へと帰国したのでした。



サマールに向かう飛行機から見た朝焼け。


色々と大変なこともあったツアーですが、留学を控えた私を「この国で一年間やっていけそうだ」という前向きな気持ちにしてくれるとても良いものでした。


最後にまとめです。

まず、初の海外でこんな強行スケジュールを組むのはおすすめしません、本当に。死にそうになります。(二日連続の山登り、ダメ、絶対!)
でも逆に言えば、このスタディツアーはすごく欲張りなプログラムになっています。もしこれを読んでいる方の中に東大の教養学部生がいたら一度は参加してみることをオススメします。
特に離島やスラムはコネがないとなかなか行けないところなので、中西先生に連れて行ってもらえるというのはかなりお得です。


あー、フィリピンのこと書いたらフィリピンに行きたくなってきました。去年の11月に行ったばかりですけど。
やっぱり社会人になっても時間作って行きたいですね。

ではでは。


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