2012年12月15日土曜日

フィリピンの刑務所見学【実は意外と清潔】


(2019/4/28追記)
読み直してみたところ、当時のテンションや読みづらい文体・構成等々が目に余ったので文章を全体的に修正しました。内容は変えていません。
(追記終)

こんにちは。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
気づけば前回からけっこう間が開いてしまっていますね……就職活動中で時間を確保しづらくはあるのですが、少なくとも月一では更新していきたいなと思ってます。

今回は、フィリピン留学中に見学しに行った女性刑務所の話です。他の記事と比べると少し真面目度が高いかもしれません(それでも心持ち、という程度ですが)。
ちなみに、悲惨で凄惨な話などは出てきません。どちらかというと逆かと思います。ですので心臓の弱い方もご安心ください。


2012年9月3日、フィリピン大学から車で1時間ほどのマンダルヨンという場所にある女性刑務所(正確には女性更生施設:Correctional Institution for Women)へ見学に行くことになりました。

そもそもなぜ刑務所を見学することになったのかというと、私の住んでいた寮のボス的存在(お母さん的存在でもある?)の寮生がツアーを企画してくれたためです。
フィリピン大学に来ている留学生は私を含めフィリピンの社会問題に興味のある学生が多く、このツアーにも多くの寮生が参加しました。
また、この刑務所側もそういった学生の来訪を歓迎していて、毎年一度はフィリピン大学のソーシャルワーク学部の人が見学に来ているとのことです。





まず始めに、この刑務所で行っている色々なプログラムについてソーシャルワーカの方からお聞きしました。

「更生施設」という名前の通り、収容者をただ罰するのではなく彼女たちが施設を出た後社会に復帰できるようにという考え方で運営されています。

フィリピンの刑務所というと「笑いのヨガ」をご存知の方もいるかもしれませんが、その他にも色々なプログラムがあるとのことです。例えば教育プログラム(ALS)を修了すると、通常の学校を卒業したのと同じ資格が与えられます。職業訓練プログラムにはオフィスワーク、キッチン、清掃、ハンドメイド小物の制作、ネイルアートなど様々な種類がありで、収容者は自分の好きなものを選べます。レクリエーション、宗教的なプログラムなどもあります。



次に、収容者の方に直接お話を聞かせて頂きました。
私たちのグループは2人の方にインタビューを行いました。Aさんは今この刑務所内で教育プログラムを受けていて、ここで高卒認定をとって出所後は大学に行きたいとのことでした。もう一人のBさんは、出所後は子供の世話をして暮らしたいとのことです。

この施設では色々なイベントが開催されていますが(なんとミスコンもあるらしい)、お二人とも1年で一番ハッピーなのはクリスマスだと仰っていました。

クリスマスは日本では「カップルの日」というイメージが強いリア充への怨念に満ちた日ですが、フィリピンでは国全体を挙げてのお祭りです。1年で1番気合が入るときです。その気合たるや、9月から年末までの4か月間ずっとクリスマスシーズンにしてしまうほど。1年の3分の1がクリスマス、クリスマス大好きフィリピン人

(イメージ画像)

そういうわけで、やはり刑務所の中でもクリスマスは一大イベントのようです。加えて、クリスマスの日は収容者の家族も1日施設内に居ることができるため、お二人にとっては子供たちと一緒に過ごせる特別な日です。

一通りお話を聞いて感じたのは、「犯罪者といってもごく普通の人である」ということでした。お二人の見た目も、会話を通じて感じた人柄も近所のおばさんとあまり変わらないように思いました。むしろ出所後にやりたいことがあるなどポジティブな一面があり(フィリピン人は大抵ポジティブですが)、好感がもてる人柄です。Aさんは薬物、Bさんは強盗の罪でこの施設に入っていますが、「いかにも悪人」という感じは全くなかったので驚くと同時に少し拍子抜けしてしまいました。


そのあと、実際に刑務所内の色々な場所を見学させて頂きました(撮影NGのため残念ながら写真はありません)。

まず予想外だったのが、施設の衛生環境です。こう書くと「汚すぎて驚いた」のだと思われそうですが、実際は逆です。もうすごく綺麗。特にキッチンが清潔で、確実にうちの寮より上だろうと思いますね。
ちなみに、刑務所というと「檻」のイメージがありますが、部屋にはドアがあるだけで檻はありません。

ただ、そんなきちんとした生活環境の中にも問題はあるもので、中でも一番深刻なのが人数オーバーです。この施設は本当は1200人が上限なのですが、全国で施設の数が全く足りていないため現在約2000人(上限の1.7倍)が収容されています。そのせいで2人で一つのベッドを使っているところもありました。特に高温多湿のフィリピンでは多分そうとう暑苦しいだろうと思います。

印象的だったのは、施設のスタッフさんと収容者の方々がとても仲良さそうに見えたことです。もっとギスギスしているだろうと思っていたので衝撃的でした。見学中に見かけた収容者の人々も先ほどインタビューした二人と同じく、やっぱり町で普通に見かけるおばさんたちと何も変わらないように思いました。


さて、さすがに写真がゼロだと素っ気ないので、刑務所内で私が買ったお土産をご紹介します。これらはすべて収容者の方々の手作りです。


こちらはトイレットペーパー入れ。私はご存知のように青大好き人間なので迷わず青を選びました。


キーホルダー2つ。
右のものはフィリピンの国旗の形ですが、この左側の白いのはなんでしょう。




そう、卵に入ったヒヨコです!すごく可愛いと思いませんか?

私は普段こういった可愛い系のものは買わないのですが、これは思わず買ってしまいました。みなさんももしフィリピンの刑務所を訪れる機会があれば(あまり無いかもしれませんが)、ぜひお土産にどうぞ。



さてここからは、見学終了後に参加者全員で行った討論をもとに私が考えた二つの点について書きます。


一つ目は、「どうやったら『犯罪者』や『前科者』に対する偏見をなくせるのか」ということです。

前述の通り、収容者の方々はみんな普通でした。薬物犯罪や強盗だけでなく、所内見学中に見た大勢の人々の中には殺人犯も複数いたと思われます(殺人はフィリピンの犯罪トップ3に入るそうです)。ですが、少なくとも私が見た中ではあからさまに危なそうな人はおらず、むしろ見学しに来た我々に対して笑いかけてくれる人も多くいました。

被害者にとっては、自分を苦しめた加害者を許すというのは受け入れがたいことかもしれません。また、犯した罪はきちんと罰せられるべきだとも思います。
ですが、犯罪に至った背景にはどうしようもない事情があったということも考えられます。例えば、貧困のせいで生活が立ち行かなくなり強盗をしてしまったとか、抱えている問題から逃げるために薬物に走ってしまったとか。当事者ではない外部の人々にとって、犯罪者と呼ばれるその人がどういう人間なのか知るすべはありません。

にもかかわらず、私たちは犯罪者と聞いた瞬間に「自分たちとは全く違う生き物」というレッテルを貼ってしまいがちです。前科者の場合は出所したことで(少なくとも法的には)罪を償っているわけですが、「一度犯罪を犯した時点で人間失格」という考え方は根強いように思います。
フィリピンでもやはり前科者というとかなり印象が悪く、たとえ施設内のプログラムで技術などを身につけても、外の社会に戻ったあと普通に生活するのは難しいとのことです。

この施設では出所後のサポートまでは手が回っていないものの、こうして外部からの見学者を受け入れ、参加者に収容者一人一人の人柄や刑務所内の生活を伝えることで世の中の偏見をなくしていくことを目指しているそうです。周囲の理解が得られれば、出所後に普通の人と同じように生活しやすくなります。

こういった犯罪者の社会復帰支援活動は日本にも必要だと強く感じます。
おそらく私が知らないだけでもう既に色々な活動があるのでしょうが、犯罪者に対する強烈なバッシングの現状を考えるともっと進めていくべきだと思っています。


二つ目は、「罰を与えるために刑務所の待遇を悪くすべき、という考え方はおかしい」ということです。

討論の中で、「刑務所なのに外よりも環境が良いのでは収容者が反省せず、逆にまた罪を犯して戻ってきてしまうのではないか」という意見がありました。

確かに、刑務所の中はすごく清潔で整っていました(場所によっては私たちの寮よりも!)。それに比べると、前回の記事で書いた台風被災者の避難所や都市スラム、この後訪問した孤児院の環境の方が衛生面に関してはかなり劣っています。単純に住む場所としてどちらに住みたいか、と聞かれたらほとんどの人が刑務所を選ぶのではないでしょうか。

しかしそれでも、だから刑務所の環境をもっと劣悪にしようという議論は間違っているのではないかと思います。

まず、環境が整っているといっても、2人で1つのベッドを使っていたりと苦痛を強いられている部分もあります。決して過剰なぜいたくが行われているわけではなく、定員人数をオーバーしていることからするとむしろ本来の最低限の基準にまだ達していないと考えられます。
外の環境が刑務所よりも劣悪だとして、それは外の問題であってむしろそちらをどうやって良くしていくかを考えるべきではないでしょうか。
(……ただ、これは長期的には正論でも短期的にはただの綺麗事という感じもあります。特に財源のことを考えると、刑務所に回す資金があるならそれを孤児院に回すべき、という意見も一理あると思っています)

加えて、これは討論中に他の人が言っていたことですが、「刑務所の中にいる人たちは自由を奪われている。どんなに衛生面やプログラムが整っていても、自由が奪われていること自体の苦しみはなくならないし、それが充分罰になっている」とも考えられます。



この写真は、刑務所見学の後に我々が行ったレストランから見える風景です。
今回のツアーを企画した人(前述の寮のボス)は、「これが私たちに与えられている自由」だと言いました。
私たちは、いつでも好きな時に好きな場所へ行き好きなことをする自由があります。美しい景色を見て、気持ちいい風を感じながら友人と語り合うことができます。それを奪われることは確かに大きな苦痛であるように感じます。

それに、そもそも罰があるから反省するのではなく、自分のしたことについて自分で考えた結果自然と反省するのでなければ意味がないのではないか、とも思います。


上の二つの問題はどちらも人によって意見が分かれるところですし、一筋縄ではいかないだろうと思います。けれどやっぱり「罪を犯した人にもセカンドチャンスがある、またやり直せる」という社会の方が住みやすいし、そういう社会にしていきたいなと思っています。そのためにどうすればいいのか、という点はまだあまり考えがまとまっていないのですが……。これからも考えていきたいトピックの一つです。


なんだか意見部分がかなりの長文になってしまいました。ここまで読んでくださってありがとうございます。
ではでは、また。

2012年10月26日金曜日

髪色九変化


(2019/4/6追記)
この記事はブログタイトルにもなっているのでかなり久しぶりに読み直してみたところ、当時のイタいテンションや死語、読みづらい文体等々に耐え切れず吐きそうになったので文章を全体的に修正しました。画像もモザイクだと犯罪に巻き込まれた人のように見えるので差し替えています。文の内容は変えていません。
そもそもここに書いてある行動がもうなんというかアレなので修正したところで焼石に水なんですが……。7年前の自分はある意味凄かったんだなと。ちなみに今現在の髪は黒色です。
(追記終)

こんにちは。皆様いかがお過ごしでしょうか。
私は今思いっきり風邪を引いています。そのせいかいつも以上に生活習慣が不規則です。目が覚めて夕方の6時過ぎだとさすがに驚きますね。母からは「それもう昼夜逆転の人間というより原猿類的ななにかじゃない?」とか言われる始末。 皆様も風邪にはお気を付け下さい。

それはそうと、今回は髪色の話です。
 今年の4月15日、友人とフィリピン大学の近所の美容院に行ってきました。

 理由は、髪を青く染めるためです。

 もう少し補足説明をします。
 髪を青くしようと思った理由ですが、特にこれといったものはありません。
 強いて言えば「青色が好きだから」です。
 髪に限らず、昔から服も物も気づいたら青系を選んでいました(まあこれは暖色系が似合わないのもあるかもしれませんが)。そのため、「留学が終わったらすぐに就活が始まって染める機会ないだろうからフィリピンにいる間に染めておこう」と思ったとき、真っ先に出てきた色が青だった、というだけの理由です。

それとよく言われるのですが、決してフィリピンで青い髪が流行っているわけではありません。 フィリピンの間違ったイメージが広まると困るので、これだけはお伝えしておきます。 特にこれから渡航予定の方は、髪を青くしたところでフィリピン社会に溶け込めるわけではないのでご注意ください。むしろ目立つ、というより普通に変人扱いされます。

そういうわけで美容院に行くことになりました。この時点では髪は黒です。 そして青にするために行ったわけですから、当然ながら私は青色に染まると思っていました。 しかし実際は。





緑になりました。何故だ。

美容師曰く、「今日一日で青にするのは無理だからまた来てくれ」とのこと。
「まあ、ブリーチして金色になったあと緑になったから、同じ染料でもう一回染めれば青になるかな」と思い、数日後もう一度行くことに。
我ながらお人好しですね。そんなんだからコテコテの詐欺に遭うんでしょうね。 
※詐欺に遭ったのはフィリピンじゃなくて別の国なのでご安心ください。また機会があればその話も書きます。 

そして、「今日こそ青になるから」という美容師の言葉を信じた結果がこちら。


なんでやねん。

いや、実をいうと染める前からわかってたんですよこんな感じの色になることは。だって染料がまんまこの色だったので。
だけど「染料はなんかピンク紫っぽいけどきっと何かしらの科学反応の結果青になるに違いない」と信じてたのに………。
美容師曰く、「ピンク『紫』だから少し青の要素が入ってるYO!光の加減で青にも見えるZE!」だそうで。言い訳にしてももう少しマシなのがあるだろう。

とにかくこの色は派手すぎるからなんとかしろ、と言ったところ、染めたばかりじゃ色を変えられないから、数日後もう一回来てくれと言われました。 もうこの辺でやめとけよと自分でも思いますが、さすがにこの色はどうしても許容できなかったのでもう一度行くことに。 「とにかくもっと暗い色にしろ」と言った結果がこちら。




ああ、もういいよこれで。

いや本当は全然よくないんですけど、もうこれ以上言っても青には絶対ならないし、2日後から旅行に行く予定が入っていたので諦めました。
しかも青にしろと言ったら「ここから青にするにはもう一度ブリーチしないといけない」と言われたので。
いやだからそれあんたがピンク紫に染めたからだよね?私最初っから青にしろって言ってたのに何でピンク紫にした?
さすがにこの時は張り倒そうかと思いました。

そんなわけで、髪をに染めに行ったらになるという不可思議な体験をした後、東南アジア旅行に出発しました。
※ちなみに2回目以降の料金は払ってないです流石に。一回分のブリーチとカラーの料金でやってもらいました。それでも2200ペソ(約4400円)なんでフィリピンでいうとそれなりですが。

旅行は大体3週間だったんですが、その期間に色が落ちる落ちる。シャワー浴びるたびに赤い水が流れるのはちょっとしたホラーです。
なのでその後日本に一時帰国したときはこんな感じに。



赤っぽい金髪と言ったところでしょうか。
もともと私は赤も金もあまり好きじゃないうえに似合わないので、旅行中はかなりフラストレーションが溜まってしまいました。

日本に着いたからには今度こそ青にしてやろう!という意気込みも新たに、実家のそばの美容院へ。その結果。




みごと青になりました!!

……あんまり青に見えない、という声が聞こえてきそうですね。 確かに、これだとむしろ灰色ですよね。
本当はこの時ちゃんと青になったのですが、予想以上に色落ちが早かったのでこれを撮った時にはすでに灰色っぽくなってます。残念…。

そうして、一度は青になったものの十日ほど経つと完全に灰色になってしまいました。 100%灰色のときの写真は残ってないですが、イメージとしては上の写真から青成分を抜いた感じです。
ちなみにこの時の色が一番評判悪かったです。私自身はそんなに嫌いじゃなかったんですが、赤とか金とかの方が周囲のウケは良かったです。 この後さらに色落ちが進み、気づくと白になっていました。それがこちら。


ブリーチして金色になった後に染めたのだから色落ちしたら金に戻るのでは?と思いましたが、金色に戻るのは何故か灰色と白を経由した後のようです。
実際、その後色落ちが進んだら予想通り金色になりました。



この写真をとったのはもう日本で染めてから4か月ほど経った頃なので、根元が黒いいわゆる「プリン」になってますね。
「プリンになってきたことだし、帰国前にもう一度青にしたい」と思い立ち、上の写真の数日後に再度美容院に行き、青に染めました。それがこちら。



今度はフィリピンでもちゃんとしたところに行ったので、無事一回で青に染まりました。良かった良かった。
これですよ私の望んでいた色は!!



そう、これこれ。



調子に乗って爪まで青くしてみたり。

しかし残念なことに、今現在の私の髪は青色ではありません。色落ちしてまた灰色とか金になったわけでもなく、黒染めして黒になっています。
そもそも帰国の就活が理由でフィリピン滞在中に染めていたので、これから少なくとも就活が終わるまでは普通に黒髪で過ごします。つまらない…。

ブログタイトルに偽りありになってしまいますが、この出落ち感しかないタイトルがけっこう気に入っているので使い続けようかなと思います。就活終わったらまた染めるかもしれませんし。
そのときも青にする確率が高いですが、意外と緑とか白も気に入っているのでどうなるか未定です。ただ少なくとも暖色は無い。

ちなみに今回の文章のタイトルですが、 緑→ピンク紫→赤→赤っぽい金→青→白→金(プリン)→青→黒 で9色なので「九変化」とつけました。でも灰色を入れると十色ですし逆に色落ちを除くと染めたのは6回で、もうここまで来ると何色あるのかよくわからないので好きに数えていただければと思います。 ではでは。

2012年9月24日月曜日

フィリピンのデモの話。


こんにちは。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

私は帰国まであと一週間とは思えないほど帰国準備もしてなければ課題も終わっていません。本当に帰れるんだろうか。

 

それはそうと、今日は私が去年の12月になんとなく参加した、フィリピンのデモの話です。

最近の反日デモのニュースを見て連想したので。

(決して課題からの現実逃避とかそういうわけではありません、決して。)

といっても反日デモについてはよくわからないので今回は書きません。あくまで私のフィリピンでの体験談を書きます。

 

 

去年の126日、私はマニラのMendiolaという通りで行われたデモに参加しました。

参加したとはいっても、正直私このときデモの主旨をあんまりわかっていませんでした。

じゃあなんで参加したのかって?なんとなくですなんとなく。

この日の前日に知り合ったAnakbayanという学生団体の人が「明日デモやるから参加してみる?」と誘ってきたので、「デモとか参加したことないしオモロそう!」ということで参加しました。つまりノリです。

 

後日知ったところによると、この週は「国際人権週間(International human rights week)」にあたるらしく、毎年この時期にデモが行われているそうです。参加者はAnakbayanだけではなく色々な団体が入っていて、教育制度とか大地主制、対外政策などについての主張をしています。特定のある問題についてというよりはもっと政府の全体的な政策についてのデモらしいです。

 

 

それにしても、学生団体の人ってもっとお堅いのかと思ってたんですが、いきなりやってきた日本人に対してもすごくオープンでした。というか陽気でした。フィリピン人の気質なんでしょうか。

移動のジープでギター弾き始めるし(さすがにこのジープは貸し切ってます)

もうなんなんですかね、このあいだブログに書いた実習の時も弾いてたし、ギターがないと死ぬんじゃないでしょうか彼ら。

私はそんなフィリピン人が大好きです。

 

 

そんなこんなでMendiolaに着きました。色々と準備があるのか、なかなか始まりません。でもそこはフィリピンタイム、サリサリストア(道端にある売店みたいなもの)で買ったおやつをみんなで食べながらまったりと待ちます。

 

そしていよいよ道路に並び、周りが行進し出すのを待ちます。

その時、隣にいたAnakbayanのメンバーの女の子が私に向かって一言。

 

「大丈夫、あなたのことは私が守るわ」

 

!?

 

え、守られないとヤバイ感じなんですかこれ;;?

もうこの時点で嫌な予感がしますね(笑)

 

そんな予感を抱きつつ、まあ来てしまったものはしょうがないと思っているうちにデモスタート。

 

まずは普通に行進。旗を振ったりプラカードを掲げたりしつつ、声を張り上げて歩きます。行進の様子は動画に撮ったのでよろしければご覧ください。↓



この時同じフレーズを繰り返し大声で言っていたのですが、この時の私のタガログ語力ではほとんどわからなかったためとりあえずノリで合わせました。

断片的に聞こえたのによると、どうも政府はもっと教育に予算を回せとか、アメリカの帝国主義を倒せ!ということを言っていたようです。(この帝国主義というのは多分経済的・文化的な意味です。)

あ、でも「アメリカの帝国主義を倒せ!」とはいってもアメリカの国旗を焼いたりはしてませんよ?Anakbayanの子たちと話した時も、アメリカ人自体を嫌っているわけじゃないし、外国人を追い出してフィリピンを閉鎖的な国にしたいわけでもないと言っていました。

そもそも、デモ隊はいたって平和的です。ただ叫びながら行進するだけで、物投げたりもしないしもちろん略奪なんてしません。しいて迷惑なところといえばうるさいことでしょうが、やっているのは昼間だし、フィリピン人はもとからうるさ…声が大きいのであんまり気にしなさそうです。

 

 

そう、デモ隊は平和でした。デモ隊は。

 

 

2,30分くらい歩いたでしょうか。そんな平和な行進がある場所で止まりました。

あれ、もう終わり?このあとどうするんだろう、などと考えながら前の方を見ます。

 

すると、なにやらどよめいてる、と思ったら

 

 

前の人たちが一気に倒れてきた。

 

 

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!左足折れるって!!

そう叫べども日本語は通じず、というか通じたとしてもみんな身動き取れないのでなすすべもなく押しつぶされます。

なぜか前から水が流れてきてジーパンがぐしょぐしょでしたが、足が痛すぎてそれどころではありません。

 

いやーこの時は本気で圧死するか、少なくとも骨は折れたと思いましたね^^;

 

結局少ししたら前の人たちが起き上がりだして、無事抜け出すことができました。その後普通に立ったり歩いたりできましたが、数日間左足首の違和感が消えませんでした。怖い怖い。

 

どうも、警官隊が放水車で水を噴射したらしいです。それに押された前線の人たちが倒れてきて押しつぶされたと。最前線じゃなくて若干後ろの方だったのが逆にあだになったようです。

 

これでかなり心が折れかけましたが、その後いろんな人がマイクを持って演説をし始めたので1時間ほど聞いてから帰りました。(これもタガログなのでほとんどわかりませんでしたが。)

帰る途中、押しつぶされたときの映像を撮らなかったことを死ぬほど後悔しましたが、そのときはとりあえずカメラが壊れないようにするのに必死だった覚えがあります。それにしても一番おいしいところだっただろうに…。

 

ちなみに、なんと一番激しかったのはこの日ではなくその翌日だったらしい。(その日行かなくてよかった…)。警官隊ともっと派手に衝突して、UPの学生の何人かは逮捕されたそうです。

 

 

それに比べて、日本のデモはかなり平和みたいですね。デモ隊が平和なのはもちろんとして、警官隊と衝突して負傷者が出たとか聞きませんし。

日本ではデモをやる権利は憲法で保障されているそうで、ちゃんと行政の許可をとっていれば妨害されるいわれはないらしい。へー。

そもそも、日本でデモってあまり聞かない気がします。去年の就活デモの参加者は100人ちょいらしいですが結構話題になりましたよね。それに対してこのMendiolaのデモはざっと300人以上参加しているうえにそれが普通、というか毎年やってる。学生が参加することも普通らしく、確か高校生の一団もいました。国柄の違いでしょうか。

 

なんとなく日本の話にもっていったところで、もう字数もかなりきてるので終了。ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

最後にまとめ

・デモ隊は暴徒とは違います。平和です。

・フィリピン人にギターは欠かせません

・フィリピンのデモに参加するときは負傷する覚悟を。(デモによってはもっと警官隊も平和なのかもしれませんが…)

・「あなたは私が守る」という約束は守られるとは限りません。というか、ただの死亡フラグです。

・日本のデモで負傷することはまずないと思われるので、日本で参加する予定の方はご安心ください。

 

ではでは:

2012年9月12日水曜日

記念すべき初投稿。



どうも初めまして、稲垣瑠璃香と申します。

去年の10月からフィリピン大学に留学しています。もうすぐ帰国してしまいますが、留学中のことを振り返って色々書いて行きたいと思います。

留学ブログなら留学中に書けよ、と突っ込まれそうですが、単純に今まで手が回らなかったので…。

情報弱者っぷりにはそれなりに定評があるので、既に前途多難な予感。

なぜか今写真がアップできないので、後日付け足します。それまでは文字ばっかりですがご容赦ください。こんなところで早くも情報弱者っぷりを晒します。

 

ちなみに、ブログタイトルに嘘はありません。髪は一時期青かったです。

多分プロフィール写真を見た人ほぼ全員が「赤じゃん!」と思われたでしょうが、赤髪は不可抗力です。というか、赤にもなったし青にもなりました。そのあたりはまた後日書きます。

これまでは色落ちして金髪だったのが、ちょうど今日青にまた染めました(青2回目です)。まだいい写真が獲れていないので、良いのが撮れたらプロフィール写真を差し替えます。

【9月20日追記】 
プロフィール写真差し替えました!本当に青ですよー。
髪の色の変遷については帰国後に書きます。多分いっぱい写真上げるので、ネット環境が良い日本の実家でやろうかと…。


 

今回はとりあえず、このあいだの土日に大学の課外授業に行ってきたのでそれを書きます。前半はそれなりに真面目にエコの話、後半はクラスメートに関する小ネタです。

 

コミュニティデベロップメント110の課外授業でNuevaEcijaの農場Cabiokidに行ってきました。

ここでは色々な種類の作物が育てられていて、人もその中で暮らしています。学校や簡単な病院も農場の中にあります。

             

Cabiokidでは、生活の全部が自然と一体!という感じです。

例えば、トイレはぼっとん式(この言葉今でも通じる…?)で、出したものは全部肥料になります。建物の材料(竹)も食べるものもほぼ自給自足。建物のつくりも、なるべく日の光を入れたり、雨が屋根を伝ってタンクに溜まるようにしたりと工夫されています。本当に「うまくできてんなーっ」て思うことが多い。

                      

全体を通して、スタッフの人は「学生でも自分たちの環境を変えられる」というところを強調していました。「田舎だけじゃなく都会でも、自然環境に適した状況にこれから変えられるし変えなきゃいけない」とも言っていました。まあ確かにそうですよね~…。

 
でも、そんなうまくいくの??って思いません?

いや、別にスタッフに喧嘩売ってるわけじゃないですよ?;;

 

そりゃ、都会の人が環境問題に対して出来ることは結構あると思います。スーパーの袋使う代わりにエコバック使うとか(そういえば私が今住んでるところではこないだからエコバック必須になりました)。

でも、NuevaEcijaみたいな田舎と違って、都会にはもう今自然がほとんどない。田舎だったら今ある自然を守って自然と一緒に暮らしていけるかもしれないけれど、都会にはそもそも一緒に暮らそうとする自然がもうない。だから、例えば道路のそばに街路樹を植えることはできても、田舎にあるような山を都会にいきなり出現させる、とか土台無理なわけで。
渋谷とか新宿に自然あふれる山を作ろう!とか言い出す人がいたら完全にスルーされるか生暖かい目で見られそうですね。

そうすると、都会の人が田舎の人と同じように自然と一体の生活を送るっていうのはだいぶ無理があるような…。田舎と同じレベルまで行かなくてもいいのかもしれないですけど、どのみち都会をエコな環境に変えようと思ったらそれは田舎を変えるより大分キツイ気がします。

…でもこういうこと言うと「じゃあ都会に住んでいる一人一人は無力だから何も変えられないんだ」って感じになって嫌なんですよねー;;自分が都会出身なのもあって余計に。

 

都会の人はどうやったらエコライフが送れるんだろうか??

 

と、疑問を投げて終わります。

 

Cabiokidのサイトリンクhttp://www.cabiokid.org/

 

 

 

ここまではまじめな話。ここから先はネタです。

 

 

今回の実習、私的にはすごく楽しめました^^

というのも、クラスメートがかなり面白い!!フィリピン人って大体みんなノリ良いんですけど、このクラスは特に良い気がします。

 

まず、課外実習なのにギター持ってきてるし。しかも誰一人突っ込まないどころか完全にそれが当たり前の感覚w

ギター自体流行っているのか、一人だけじゃなくて何人か弾いてました。

 

それにしても、ギターを弾くと誰でもかっこよく見えますね。クラスでどちらかというと不細工な人でも「キリッ」として見えた。モテたい方はギターを始めると良いかもしれません。

 

まあ、結局ギター弾いてるイケメンにはかなわないんですが。

 

 

あと面白かったのが、タガログ語と日本語の教え合い。

私はタガログ語の歌(Pagdating ng Panahonとか)を教えてもらって、私はクラスメートに日本語の歌と単語を教えました。

しかしこの、日本語の歌や単語の意味を英語で伝えるというのがなかなか曲者で、私の手には負えんわ;ということもしばしば。

以下、その一部を抜粋。(英語で言ったところも日本語にしているので、本当に日本語で言った部分は斜体にしてあります)

 

クラスメート「ドラえもんの歌うたって!」

私「オッケー!あんなこといいな、できたらいいな♪

クラスメート「それってどういう意味?」

私「(「あんなこと」って英語で何だ??)……… I hope to do something(=私は何かがしたい)」

クラスメート「Really? So that Doraemon is doing nothing now! He is lazy, hahaha^^(=そうなの?じゃあドラえもんって今は何にもしてないんだ!怠け者だなあ笑)

 

ち、違う…!!

 

でも違いすぎてどこから訂正すればいいのかわからなかったので、結局よくわからないまま終わってしまいました。彼らは今もドラえもんを誤解しているんだろうか。

 

クラスメート「ドラゴンボールの歌知ってる?」

私「えっと確か…チャーラー♪ヘッチャラー♪

クラスメート「ヘッチャラって何?」

 

…………。

いやいやいや、これは無茶振り過ぎるでしょ。知らんがな。

 

でも思いっきり期待してる目を向けられたので、私が頑張ってひねり出した英訳がこれ。

私「I’m strongest!(=俺は最強!)」

 

一応、最強=何が来てもへっちゃら ってことで。

はい、わかってます無理やりにもほどがあるってことは。ドラゴンボールファンの人石投げないでください。

やっぱり翻訳家とか通訳の人ってすごい。

 

誰かドラえもんとドラゴンボールの歌の英訳で良いのを思いついたら教えてください。

 

 

異文化交流って難しいですね、というのを今更ながらに確認したところで今日はここまで。

ではでは。