2019年8月7日水曜日

緊急人道支援の枠組みについて【クラスター制度】


皆様お久しぶりです。気づけば夏まっただ中でものすごい気温になりつつありますが、いかがお過ごしでしょうか。令和の夏ヤバいですね。

私は一か月ほど前に日本に帰国し、今は仕事をしつつ留学準備をしてい(ることになってい)ます。この9月から一年間イギリスのブラッドフォード大学で「平和・紛争・開発(Peace, Conflict and Development)」という修士コースを受講予定です。


(ブラッドフォード市庁舎 Wikipediaより)

何といっても英語の本場イギリスの大学院への留学なので、今のうちから英語の勉強をしておかないといけないわけですが、私はもともと語学が好きじゃないのもあり何かもう全然やる気が出ない。。。というのが最近の現状です。困ったものですね。
加えて先日、勤め先の部長から「大事なのは自分の中に伝えたい内容があるかどうかだから、最悪英語力は無くても何とかなる」(※超意訳)というありがたいお言葉を頂いたので、部長がそう言うならもうやんなくていいかなぁという感じになってきており……なんてことを言うと流石に怒られそうですね。


さて前置きが長くなりましたが、今回は緊急人道支援の基本システムであるクラスター制度と、そこに関わる組織について話をしたいと思います。これまでの記事に比べると、緊急人道支援の分野で将来働きたいと考えている人向けかもしれないです。
私自身そんなに詳しいわけではないですが、自分の頭を整理するためにも一度まとめてみようということで今回ブログに書くことにしました。

この「クラスター」、英語で書くとclusterですが、直訳すると群れや集団という意味になります。平たく言うとグループですね。
緊急人道支援活動のなかには保健(医療)や水衛生、住居などいろいろな分野があるわけですが、それぞれの分野ごとにクラスターというグループを作って、同じ分野で活動する団体同士お互いの情報を共有して活動内容を調整しましょう、という仕組みがクラスター制度になります。

お互いの活動内容を調整するというのは、一般的な企業の視点から見ると少し奇妙に感じるかもしれません。営利企業は他社より少しでも多く利益を出すことが求められているため、ライバル企業と話し合って事業の内容を決めるなんてとんでもないと言われそうです。ですが人道支援の場合は営利企業と違い、必要な支援を必要とする人々に届けることが最優先です。それをどこの団体が実施するかは本来あまり重要ではありません(実際はそれでも縄張り争い的なことが発生したりするわけですが……)。そのため、ある地域にだけ支援が集中して別の地域には全く行き届かない、といった支援の重複や漏れが起こらないよう、実施団体の間で協力していく必要があるわけです。

機関間常設委員会(IASC)というところが出しているガイドブックによると、クラスターは以下の11個に分かれています。さらにそれぞれのクラスターにはクラスターリードという取りまとめ役の団体が決められているのですが、参考までにそれもカッコ内に記載しました。
①保健(WHO)、②水衛生(ユニセフ)、③食糧(WFP, FAO)、④住居(IFRC※, UNHCR)、⑤保護(UNHCR)、⑥教育(ユニセフ、セーブ・ザ・チルドレン)、⑦栄養(ユニセフ) 、⑧キャンプ運営(IOM, UNHCR)、⑨早期回復(UNDP)、⑩ロジスティクス(WFP)、 ⑪緊急時通信(WFP)
※IFRC=国際赤十字赤新月社連盟

ちなみに、クラスターの代わりに「セクター」という言葉を使うこともあります。私もこの記事用に調べていて初めて知ったのですが、この二つは厳密には違っていて、調整役としての責任をクラスターリードが負う場合をクラスター、現地政府が負う場合をセクターと呼ぶそうです(出典はこちら)。ですが、同じ分野で活動する団体間の調整メカニズムという意味ではどちらも同じです。
また、全ての人道支援活動地でクラスターやセクターが立ち上がっているわけではありません。これはあくまでも各団体間(特に国際的な支援団体間)の調整の仕組みなので、逆に言えば海外からの支援があまり入っていないような場所では要らないことになります。実際、私がこの間までいたインドネシアのロンボク島にはこうした制度はありませんでした。その場合は、各団体が自分たちで個別に現地政府や住民の方々と調整しながら進めていきます。

ここまで「調整」という言葉を再三使ってきましたが、では具体的にどんなことをしているのか?という点について、バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプを例に説明します。
(※なお、現場の状況はその時々によって変わるので、これはあくまで私が現地にいた2017年12月~2018年10月頃の情報を基にしていることを念頭に置いておいてください。また、バングラデシュの場合厳密にはクラスターではなくセクターになります。)

(バングラデシュ、コックスバザールの難民キャンプ。2018年10月撮影)

私は保健・医療分野での事業を担当していたのですが、保健セクターでは毎週水曜日にミーティングを行っています(ちなみに、このミーティングについては前回の記事でも「調整会議」という名前で少し紹介しています)。
バングラデシュ政府とWHOそれぞれの担当者が共同で運営しているもので、赤十字、国境なき医師団、マレーシア病院、BRAC(バングラデシュの大手NGO)など色々な団体が出席していました。参加人数はその時にもよりますが、多いときでは50人近くにもなり立ち見が出る日もありました。
これだけ大勢の人が参加しているので、その場で全員で話し合って何かを決めるというよりは、事前に設定されたアジェンダについて担当する団体が発表と質疑応答を行うというスタイルでした。
発表の内容は、感染症に関する最新情報の共有、キャンプ内のどの地域で支援が不足しているか、モンスーンへの対応、ワクチン接種キャンペーンについて、現地スタッフ向け医療トレーニングの案内など多岐に渡ります。
ミーティング議事録や関連資料はオンライン上で公開されていますので、関心のある方はこちらから読んでみてください。

ミーティングに参加する以外に、各団体は定期的に自分たちの活動について報告することが求められます。4Wという活動全般に関する報告と、EWARS(Early Warning, Alert and Response System)という感染症対策のためのシステム上での報告の2つを提出していました。
各団体が提出した情報は保健セクターの担当者が集計し、関係者全員がインターネット上で確認できるようになっています。それらの情報に基づいてキャンプ内の医療施設マップなども作成されていてかなり便利です。
また、薬や医療器具などが不足した場合にWHO等から物資を支給してもらえたり、逆に支援が手薄なエリアで新たに活動をしてもらえないかとセクター運営側から個別に打診されることもあります。日頃からミーティングに出席したり定期報告を上げたりすることでセクター内で存在が認知され、自分たちの事業を広げることにも繋がります。


私がクラスター制度について語れるのは今のところこれくらいですが、こうした支援の枠組みを踏まえたうえで、各個人はどのように将来働く場所や内容を決めていけばよいか?ということについて最後に少し触れておこうと思います。
私自身が今まさに自分のキャリアについて考えているところなので、駆け出しのぺーぺーの一人が抱いている今のところの印象、というくらいに思っていただけるとありがたいです。


国際機関とNGOとで比べると、やりたい分野や仕事内容が明確に決まっている場合はそれに特化した国際機関に入る方が良いのかな、と思っています。例えば保健・医療ならWHOや赤十字、食糧配布ならWFPなど。また、NGOの中でも国境なき医師団のように国際機関並みの影響力があるところもあるので、「国際機関/NGO」というよりは「大組織/中小組織」という分け方の方が適切かもしれません。
ちなみに、ここで言う「中小」はあくまで世界レベルで見たときの話です。私の所属先は日本の国際協力NGOの中では大きい部類に入りますが、それでも世界的に見て大組織ではないのでここでは中小に分類しています。

やっぱり大きな団体ほど活動規模も大きい傾向にあります。例えば我々の事業のターゲットはキャンプ内の1つのエリア+αくらいでしたが、WHOや国境なき医師団は広大な難民キャンプの全体をカバーしています。また、感染症の蔓延をキャンプ全体でどう防ぐか、というような話はクラスター/セクターのまとめ役であるWHOが中心となって対応していくことになります。

その一方で、大組織の場合は決められた分野以外のことは出来ない(WHOが井戸を掘ったりはしない)のに加えて、組織内の各個人の担当領域が明確に決められていて融通が利かないという印象があります。例えば、同じ「保護」の分野でもその中で「性暴力」と「難民コミュニティとの対話」とでは部署が完全に分かれていて、自分の担当分野以外のことは関心を持ったとしてもなかなか関われないという話を聞きました。
その点、中小のNGOはどんな分野や内容の活動でも、現地にニーズがあって自分がやりたいと思えば基本的にやらせてもらえるというのが最大の強みかなと思います。私の所属組織でいうと、水衛生や住居などで特に実績が多いものの特にその分野に限るということはなく、その時の状況に合わせて柔軟に支援内容を決めることが出来ます。
また、色んなことを自分一人でやる必要が出てくるので、様々な能力をバランスよく伸ばすことが出来るのも利点です。

……書きながら、「この辺の話って普通の大企業とベンチャーにも当てはまるのでは?」という気がしてきました。そう考えるとあんまり新鮮味のある話ではないかもしれませんが、まあ一般企業で言われていることが緊急人道支援でも成り立つんだなと思っていただければ。
あとは、これも普通の企業と同じですが、NGOも国際機関も団体ごとにカラーの違いが相当あると聞くので、最後はそれぞれの団体の人に個別に話を聞くのが一番かなと。特にNGOだと、その団体の理念に共感するかどうかはけっこう重要だなと最近感じています。


今回はなんだかちょっと固いというかニッチな話だったので、次回はもう少しやわらかい話を書こうかなと思います。駐在員は現地でどんな家に住んでるのか?とか。まあまだ何もかも未定なんですけれども。それではまた。

(先日訪れたマレーシア、ランカウイ島の夕焼け)

2019年4月3日水曜日

緊急人道支援NGO駐在員の仕事【バングラデシュ難民キャンプ】

皆様お久しぶりです。2月中どころか気づけば4月に入ってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。
私はというと仕事で色々とあるのに加えて、先月猫に引っ掻かれて狂犬病ワクチンを追加接種する羽目になる(詳細はツイッター参照)など、波乱万丈な感じの日々を送っています。

さて今回は、というより今回もバングラデシュ事業の話です。ただし前回は主にデスク担当のことを書いたのに対して、今回は現地駐在としての仕事内容について書きます。

(バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプの様子)

私の所属している部署は「緊急人道支援」をメインで行っています。緊急人道支援とは、災害が起こった際にその被災者に対して行う支援活動のことを言います。
この災害には紛争(人災)と自然災害の両方が含まれます。また、災害発生直後の活動もあれば、数か月や場合によっては数年経過している地域での活動も含まれます(「緊急」という言葉のイメージからはズレていますが、例えばシリアなどは8年以上紛争が続いているためずっと緊急人道支援から抜け出せずにいます)。一口に緊急人道支援といっても国や事業によって内容が大幅に変わるため、ここに書くのはあくまで一例として考えてもらえればと思います。

バングラデシュ事業は、2017年8月に起こったロヒンギャ難民の大流出を受けて立ち上げられました。隣国ミャンマーのラカイン州というところでミャンマー軍と少数派のロヒンギャ族過激派が衝突したことをきっかけに軍によるロヒンギャ族への弾圧が行われ、60万人以上の人々が難民としてバングラデシュのコックスバザール県へ押し寄せることになりました。

この事態を受け、私の所属団体は現地の医療団体と提携して、まずは巡回診療を開始しました。難民キャンプ内の居住エリアを回り、屋外に椅子と机を並べて診療するという活動です。それからしばらくして、診療所の建設と運営も始まりました。
私は9月の立ち上げ時からデスク担当(*)として携わっていましたが、12月に駐在の方が一時帰国することになり、初出張で一か月間現地へ行くことになりました。
(*)デスク担当の仕事内容については前回の記事参照。

難民キャンプに行くのはこれが初めてでしたが、「家がものすごく密集している」というのが第一印象です。
大流出よりも前から逃れてきていたロヒンギャの人々や元々その土地に住んでいるバングラデシュ人の人も含め、キャンプ全体で100万人以上が生活しています。簡単な店や市場もあって、一見にぎやかな普通の村のようにも見えます。ですが、治安を管理するバングラデシュ軍やたくさんの国際NGO・現地NGOの姿が見えるという点は普通の村と異なります。

(家がひしめき合っている様子。ここだけでなくキャンプ内の多くの場所がおおよそこんな感じです)

もともと森だったところを伐採して急ごしらえでキャンプが作られたので、土砂崩れの危険があり土埃もすごいです。エリアによってかなり環境が違っていて、比較的整備されているところもあれば場所によっては水衛生が全く整っていないところもありました。
これだけの数の人々に対して自分にどれだけのことが出来るのか、ということを考えながら、目の前の仕事に奔走するうちにあっという間に出張期間が過ぎていきました。


その後日本に戻ってまた数か月間デスク業務を行ったのち、昨年5月から駐在としてバングラデシュに赴任しました。この頃になると出張時に比べて多少キャンプ内の環境が整ってきているようでした。緊急人道支援の活動には色々な時期のものが含まれると冒頭で書きましたが、どのフェーズの活動かによって事業内容も個々人に求められるものも違ってきます。
災害発生直後は混乱した状況の中でとにかく大量のニーズに迅速に対応することが求められますが、発生から半年以上経過したこの時期では、長期的・安定的に活動していくための基盤を整えること、また活動自体の質を上げてより細やかなニーズに対応することが要求されます。

駐在としての仕事内容は色々とありますが、一言で言えば「事業運営」です。もう少し詳しく書くとおおよそ以下のようになります。

・現場視察 
・各種報告書作成・会計管理
・ニーズ調査、新規事業立案/事業拡大
・調整会議への出席 

この中で、「調整会議」という言葉はあまり馴染みがないのではないでしょうか。
緊急人道支援の場合、災害が起こった後に様々な支援団体が一斉に被災地に入ることになりますが、そうすると当然支援内容が被ったり逆に不足する領域が出てきます。そうした事態を防ぎ、かつ迅速に支援を行うために、それぞれの団体の活動内容をお互いに把握して調整するための会議が行われます。それが調整会議です。医療・水衛生・食料・住居といった活動の分野(セクター)ごとに行われることが一般的です。私は医療と、その下部セクターであるメンタルヘルスの調整会議によく出席していました。
バングラデシュの難民キャンプに関する調整会議の内容は以下のサイト上で一部公開されているので、関心のある方は閲覧してみてください。
https://www.humanitarianresponse.info/en/operations/bangladesh


(これはイメージ画像です。会議の種類にもよりますが実際はもっと多くの人が参加しています)

この調整会議を通じて、自分の事業からだけでは得られない様々な情報を得ることが出来ます。広大なキャンプの中のどの地域に、またどの人々(年齢・性別等)にどんなニーズや課題があるかを知ることで自分たちの活動に活かすことができ、新規事業を考える手掛かりにもなります。また、ビザやセキュリティなどについての情報も得られます。

そんな有益な会議ですが、約半年間出席した感想はというと。
難易度たっか!!!
この一言に尽きます。
もうね、まず英語が速すぎるんですよ。会議の参加者は国連機関か大手NGOのスタッフがほとんどで、常日頃から英語で仕事をしている人達なわけです。それに加えて私は専門知識もない状態で飛び込んだので、初めの頃はついていくだけで至難の業でした(というかスライドや議事録が無かったら詰んでいました)。

ちなみに、会議で使われるのはベンガル語でも、ましてキャンプの住民間で使われているチッタゴン方言やロヒンギャ語でもなく、圧倒的に英語です。これはおそらく複数の国際NGOが入るような現場であればどこも同じです(フランス語圏を除く)。災害発生後すぐに支援を開始することになるため、支援団体スタッフが現地語を習得する時間がないからです。事業を実施する際は英語のできる現地スタッフを雇用するか、提携団体の英語のできるスタッフを通じて意思疎通をすることになります。

現地語を習得せずに英語で仕事ができるのは便利な一方で、会議が早口の英語で行われ、また多くの場合外国人(バングラデシュ人以外)がリードするため、現地の中小のNGOが排除されているようにも感じました。実際会議に出ているのは国際NGOか大手の現地NGOがほとんどで、現場で見かける中小の団体はあまり出席していなかったように思います。
……まあ、結局そう思ったところでそういう意見を出して変えていくためにはもっと発言力をつけないといけないし、そのために英語や専門知識をもっと磨いていかないといけないわけですが。(私本当に英語好きじゃないんですけどね……)。
緊急人道支援を志す方は、もう耳にタコだとは思いますがやっぱり英語は必須なのでお互い頑張っていきましょう。
(2019/4/3追記)
同業の方曰く、緊急人道だけでなく開発分野でも調整会議は存在するそうです。そしてそちらも英語(又はフランス語)で行われるとのこと。なんか余計世知辛い……。まあ語学苦手な人間にとっては現地語覚える方が大変なので良いっちゃ良いんですが。英語サボりがちなのでもっと頑張ります。。。
(追記終)

ここまで書いて、「そもそも医療分野の事業なら患者さんを診たりするのが一番の仕事なんじゃないの?」というもっともな疑問を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
結論から言うと、私は医療従事者でないので医療行為は一切していません。実際の診療については、現地の医療事情にも詳しいバングラデシュの医療団体が担っています。また、医療以外の活動、例えば今担当している水衛生分野の活動であったとしても、実際に給水活動や工事などを行うのは主に現地スタッフの仕事です(フェーズや事業内容によるので一概には言えませんが)。

現地駐在は実際に体を動かして働くというよりは、それをチェックしてマネジメントすることが仕事になります。いわゆる管理職のような立場です。管理職であるため、提携団体や現地スタッフ、支援対象の人々、同業の他団体、現地の行政や軍などなど、多数いる関係者間を調整する力が重要だと感じます。また、事業全体を見渡して足りないところやもっと伸ばすべき部分を見極めて実行に移す決断力も大事だなと。自分の手で事業を回せる、状況の変化に応じて自分で判断して動けるというのは現地駐在の大きな魅力の一つだと思います(そういう意味では起業家に少し近いかもしれません)。

ただもちろん、管理職とはいっても現場を見ないというわけではありません。セキュリティの問題で入れない事業地を除いて、基本的に現場にはよく足を運ぶべきと言われていますし、やっぱり現場を直に見れることは駐在の良いところです。それこそ難民キャンプなんてこの仕事に就かなければ縁のない場所であって、それを自分の目で見て知ることでたくさんの気づきを得ることが出来ます。将来的に本部部署で働くことになったとしても、現場経験が有るのと無いのとでは仕事の結果もかなり違ってくるだろうなと思います。

そうして約半年間バングラデシュ駐在として過ごしたのち、インドネシアでの事業が人手不足だったことなどの理由で11月からそちらの担当となりました。今も駐在としてロンボク島に滞在しています。
同じ現地駐在といっても、こちらの事業は開発寄りの活動なこともあってかなり仕事内容が異なります。今回書いたことも、一部は当てはまりますが当てはまらない部分も多いです。そちらについてはまたの機会に。

2019年2月10日日曜日

緊急人道支援NGOの仕事内容【イラク、バングラデシュ等々】


皆様いかがお過ごしでしょうか。私はようやく渡航準備が整い、約一か月ぶりにインドネシアに来ています。
数日前にジャカルタのインドネシア博物館に観光に行ったのですが、すごく充実していました。広い敷地内にいくつもの博物館やコモドドラゴンがいる爬虫類動物園?があり、特にある博物館で民族ごとの結婚衣装がずらっと並んでいたのは壮観です。一日では全然回り切れなかったのでもしがっつり見たいという方は2~3日確保されるのをおススメします。


(博物館内は撮影禁止だったので代わりに敷地内の水辺の写真。天候も良く絶好の観光日和でした)

さて観光の話はこのくらいにして、今回はようやくNGOで普段している仕事内容についてです。
うちの団体は日本をベースにするNGOの中ではかなり規模が大きく、活動内容も幅広いので全てを一つの言葉では説明できないですが、私の所属している海外事業部は「緊急人道支援」をメインに活動しています。
緊急人道支援とは、紛争や自然災害などの緊急事態が起こったときに、その被災者に対して行う支援活動のことを言います。レスキューのような人命救助も含まれますが、私たちの部署はむしろ住居や水、医療など「生活」全般に対する支援を主に行っています。
ちなみに、「開発支援」という言葉もありますがそれはまた少し違うものになります。「国際協力」と言うとこちらを思い浮かべる方が多いかと思いますが、開発支援は事業地の社会の中にある課題を当事者と一緒に解決していくというもので、緊急人道支援よりも長期的になることが多いのと、緊急事態の有無は関係ないという違いがあります(こんな説明の仕方をすると開発に詳しい方から「雑過ぎる!」と怒られそうですが、大目に見てもらえると嬉しいです。字数もないし)


2017年の7月に前職の証券会社(*)を辞めて今の団体に入ると、まず最初にイラク事業を担当することになりました。
(*)証券会社時代の話についてはこちらの記事参照。

ここで言う「事業担当」とは現地で事業を運営する駐在員ではなく、現地から上がってくる情報をもとに日本で様々な書類仕事を行ういわゆるデスクワーカーを指します。なので入って間もない新人の頃にいきなりイラクへ派遣された、というわけではありません(我らが部長はムチャ振りで有名なのですが流石にそんなことはしません)。
ちなみに何故イラクかというと自分で希望したからですが、実は特に強いこだわりがあったわけではないです。うちの団体の事業の中でイラクが一番規模が大きくて歴史も古いというのと、なんとなく「紛争地といえば中東」というイメージがあったというだけに過ぎません。同期や後輩の中には特定の国や事業に対して強い気持ちを持って入ってきた人もいますが、一方で私のようにあまり地域にこだわらない人も意外と多いです。緊急人道支援の場合は開発と違って大抵の人が数年のスパンであちこちの被災地に派遣されるからかもしれません。

デスク担当は通常複数の事業を担当するため、イラク事業を見る間にネパールの洪水被災者支援やパレスチナの生計支援も一時期だけ担当していました。そうして1か月ほど過ぎたころ、南アジアでロヒンギャ難民の大流出という事件が起こりました。
当時ニュースにもなりましたが、825日にミャンマー軍が国内の少数派であるロヒンギャ族の過激派と衝突し、そこから暴力の連鎖がロヒンギャの人々の住む地域に広がりました。そのためロヒンギャの人々が一斉に避難し、60万人以上が難民として隣国のバングラデシュへ押し寄せるという事態になりました。
これを受けてうちの団体はバングラデシュの難民キャンプで医療支援を行うことになり、その事業を担当することになりました。
バングラデシュでは団体としてそれまで事業を行ったことがなかったので、全てを一から作り上げることになります。そのためバングラデシュ事業に次第にかかりきりになり、当時イラクの方は情勢が悪化していて出張に行けなかったこともあって途中からほとんどバングラデシュ専任のような形になっていきました。

(バングラデシュの難民キャンプ。たくさんの家がひしめき合って建っています。)

このようにデスクの頃は色々な事業を担当しましたが、基本的にどの事業においてもデスクの主な仕事内容は一貫しています。それは、「現地駐在のサポートとドナー対応」です。
うちの団体が緊急人道支援活動をするさい、支援者の方々からの寄付に加えて外務省やジャパンプラットフォーム(*)という団体から助成金を頂いて事業を運営することがほとんどです。そして助成金を獲得するためには申請書の提出が必要で、かつ事業期間中の進捗報告や、終了後の会計報告や事業報告がドナーから求められます。それらのドナーへ提出する書類は基本的に現地駐在がドラフトを作成しますが、それらをチェックし、足りない情報があれば現地に確認して追記したり文章を修正したりして最終版を作成し、ドナーへ提出するのはデスクの役割です。また、提出後はドナーから色々な質問や要望が来るため、それらに窓口となって対応するのがデスク担当者となります。日本側で行う監査の準備・当日対応もデスクの仕事です。
(*)ジャパンプラットフォームはその名の通り「プラットフォーム」であって厳密には「ドナー」ではありませんが、簡単のためにここではそのように記載しています。

「どの事業地でも仕事内容同じなんだったら、一回経験すればあとは楽勝なんじゃないの?」と思われるかもしれません。確かに先にイラクなどの事業担当を通じて基本的なことを押さえていたので、バングラデシュ担当になったとき楽になった部分はあります。ただ、それはあくまで大枠が同じということであって、デスクの難易度は現場の状況によってだいぶ変わるというのが現在の私の実感です。
というのも、イラクのように長年やってきた事業地では既に会計や報告のシステムが日本側・現地側ともにきちんと出来上がっているので、基本的にはそれに沿って確認や修正を行えばよいということになります。
一方バングラデシュはというと、先に書いたように団体として初めての事業地で、かつ大規模な難民流出が起きてからまだ数か月しか経っておらず現場は相当混乱していました。さらに現地の提携団体も初めての提携相手であるため、お互いのルールを一つ一つ明確化していく必要がありました。
特に会計を見るのに初めかなり苦戦しました。デスクの仕事は本来現場から上がってくる会計データをチェックして予算消化の進捗管理や会計報告の作成をすることですが、そもそもそれをするための会計システムが整っていないため、それを一から整理するという任務が課せられました。もともと私は数字には自信があったのですが、特にこれまで業務として経理を担当したことはなく事業の運営に関わったこともないため、全体のお金の流れがなかなかイメージできない、という問題がありました。
それで結局どうしたかというと、当時東京事務所にいたベテランスタッフ二人に一から叩き込んでもらってなんとかかんとか身についた、という感じです。
余談ですが、このお二人どちらも他の事業地に配置転換する直前にそれぞれの事業の事情で渡航予定が延びていて、たまたまこの時期少し手が空いていたのでバングラデシュ事業を見てもらえた、という経緯があります。我ながら強運。


さて、ここまでデスク担当の仕事について色々書いてきましたが、正直地味やな~~っ!!って感じじゃないですか?ええ、全くもってその通りです()
「国際協力」とか「海外支援」というとやっぱり現地に行ってバリバリ活動するというイメージが強いですし、何といっても支援相手の顔が見えるので自分たちの活動が現地の役に立っているという実感を得やすいです。そのため「とにかく現場が好き!」という人は周りにも多いです。

ですが、私はデスクにはデスクの魅力や利点があると思っています。なかでも、いろいろな事業地を同時に見ることができるというのは駐在にはない魅力です。もちろん駐在先でも世界中の紛争や災害に関する情報を手に入れることはできますが、やっぱり目の前の事業にかかりきりになりがちです(もしかするとベテランの人はそんなことないのかもしれませんが…)。その点デスクだと複数の事業を受け持つため、仕事として半ば強制的に複数の地域に対してアンテナを張ることになります。
もう一つの利点は、日本の他のNGOやドナーについて知ることができるということです。これは特に私のような他業種から転職してきた人間にはありがたいです。
さらに、個人的には日本にいながら緊急人道支援ができるというのは結構大きいんじゃないかと思います。これはとにかく早く海外に行きたいという人には当てはまりませんが、逆にいきなり紛争地や被災地に行くのはちょっと…、という人や、何かしらの事情があってすぐには日本を離れられないような人であっても支援に携われる(それもかなり大きな割合で関われる)というのはもっとアピールされても良いのかなと思います。

私の場合は緊急人道支援の団体に入るのが初だったので、最初にデスクとして落ち着いて事業や手続きの流れを学べたのはかなり良かったなと感じています。入った当初はぶっちゃけ早く駐在になりたかったのですが、途中からまずデスクの仕事を一通り覚えてから駐在に行くという方針に変え、結果的に10か月ほど東京事務所で働きました(ちなみにうちの団体はわりと配属地や異動タイミングの希望を聞いてもらえる印象です)。

さて、本当はこの次に駐在の仕事について書いて、駐在とデスクそれぞれの違いや魅力を比較する予定だったんですが、気づいたらもう自分の中の目安である3500字をとっくに超えているわけです。あれおかしいな??
数字には自信あるんじゃなかったのかと突っ込まれそうですがそれとこれとは別の能力なので……ちなみに申請書は文字数制限がありません。

というわけで、駐在の仕事についてはまた次回にしたいと思います。ただ、日本で待機中だった先月と違ってもうインドネシア事業が動き出したので次いつ投稿できるかわかりませんが……。一応今月中の投稿を目標にしてますので、また良かったらお読みください。それでは。

2019年1月26日土曜日

ボヘミアン・ラプソディ最高でした【日英の難民保護制度の話】


皆様こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。私はインドネシアへの出張を来月に控えてワクワクしているところです。

ところで皆さん、ボヘミアン・ラプソディはもうご覧になりましたか?

 
(映画.comHPより。 https://eiga.com/movie/89230/)

もしかすると「いや、今更かよ()」と言われそうですが、このあいだまで仕事でバタバタしていたので大目に見ていただきたい。
以前から気になっていて、周りの人からの評判もすごく良かったので観たいとずっと思っていたのですが、先日ついに映画館へ行ってきました。で、感想ですが。
 
最高すぎるので全人類が一度は観るべき。
 
どれくらい最高だったかというと、家帰って気づいたらAmazonでサントラを買っていたというレベルです。
私これまでクイーンってあまり聴いたことなかったんですけど、これはハマりそうですね。というか当時リアルタイムでライブ・エイドを観てた人羨ましすぎる。

さて、映画でも少し触れられていましたが、フレディはもともとイギリス生まれではありませんでした。ザンジバルという現在タンザニア領の島に生まれ、17歳のときに英国へ難民として逃れてきたそうです。
※詳しくは以下の記事がわかりやすいので、ご興味のある方はどうぞ。

私は仕事柄、難民と一口に言っても色々な人がいることは知っていましたが、「あのフレディ・マーキュリーが難民だった」というのはけっこう驚きました。


そんな折、ちょうどイギリスの難民保護制度に関するセミナーの案内が来たので行ってみることにしました。この前の月曜のことです。
興味深いセミナーだったので、今回はそこで学んだことについて書いていきます。(前回「次はNGOの普段の仕事について書く」と言いましたが、こっちの方がタイムリーな話題なのでつい……。)

こちらのセミナーですが、イギリスと日本の専門家を呼んでそれぞれの国の難民保護制度の現状について学ぶというもので、「なんみんフォーラム(Forum for Refugee JapanFRJ)」という団体が主催でした。

「イギリスと日本の難民保護制度を学ぶ」と書きましたが、それは裏を返せば日本にも難民がいるということです。
あまり知られていませんが、日本でも毎年多くの人が難民として申請をしています。
では、具体的に何人くらいいるのでしょうか?

以下の法務省HPで正確な数字を見ることができます。
これによると、平成29(2017)申請者数が19,628だったのに対し、難民として認定されたのは20人、人道配慮による在留許可が45人で、合計65人が日本に在留する許可を得ました。申請者全員が年内に審査結果が出たわけではないと思いますが、それを脇に置いて概算すると、在留が許可された割合は約0.3%になります。
いや0.3%って低すぎない?って感じですよね。住宅ローンの金利かっていう。
つまり海を越えてやってきた人々のうち千人に3人しか日本にいることが認められず、残りの997人は権利を求めて戦うか母国に帰るかしかないということになります。

ちなみにイギリスではどうかというと、セミナーでもらった資料によると20189月までの1年間で27,966の申請があり、難民認定または人道的保護による在留許可を得たのはそのうちの30とのことです。

もちろん、イギリスと日本では事情が違うので単純に比較するべきじゃないとは思います。出身国申請者の中には、例えば日本に在留して単に高い収入を得るために難民申請しているという人もきっとゼロではないでしょう。
ただ、それにしたって日本の認定率低すぎるのでは?という思いはありますが……。

ここまで、難民として認定する/しないという話をしてきましたが、そもそも何をもって難民と言うのか?という点について簡単に説明します。
「難民条約」という条約があり、第1条で難民が定義されています。長いのでここで引用するのは避けますが、ざっくり言うと「人種や宗教などの理由で迫害される可能性があるため母国から逃げてきた人」となります。
ポイントは、「迫害」される可能性があるので逃げてきたということです。「難民」というと何となく貧しい子供などをイメージしがちですが、経済的に貧しいというだけではここでいう難民にはあたらないことになります。
難民条約では難民の定義だけでなくその権利(例えば、追放や送還をされないなど)も決められています。日本もイギリスもこの条約に加盟しているので、申請をして難民だと認められた場合は正式に在留する権利を得ることになります。

では、難民として申請すると具体的にどのような流れで審査が進むのでしょうか?また、申請中はどんな保護が受けられるのでしょうか?

まずイギリスの場合。難民申請をすると、まずスクリーニング面接というのを受けます。これは申請した後比較的早く実施されるそうです。ここで氏名や国籍など簡単な質問に答えるのですが、重要なのは困窮している場合はこの時点から最低限の住居と食事の支援を受けられるということです。庇護支援というもので、法律でしっかりと定められています。また、審査の結果が不認定となり在留許可が下りなかった場合でも21日間の猶予期間があり、庇護支援はこの間も継続します。そのため申請者はこの間に次どうするか、つまり決定に異議を出すか、難民であることを示す新たな証拠を入手して提出するか、または自主帰還するかなどを落ち着いて考えることができます。さらに子供がいる場合は21日を過ぎても出国まで継続して庇護支援を受けることができます。

ここまで読んで、皆さんどう感じますか?この体制で充分かと言われるとおそらく色々問題もあるのでしょうが、私は「少なくともすぐ路頭に迷うことはなさそうだな」と感じました。最低限のセーフティネットがちゃんと機能しているという印象です。

では次に日本の場合を見てみます。日本では、申請をしてから公的支援が受けられるようになるまでの間に待期期間が平均41日間あり、この間にホームレスに陥ってしまう可能性があります。また認定・不認定の結果が出るまで平均で2年以上もかかるのですが、それに対して公的支援の支給は平均11か月で終わってしまいます。つまり難民申請の手続き中に公的支援が受けられない期間が長く存在するということです。さらに、審査の結果不認定となるとその日から公的支援の支給はストップしてしまいます。
加えて、そもそも公的支援の利用人数が少なく、全申請者の1%強しかないという問題があります。これは支援を必要とする人が少ないのではなく制度が周知されていないからです。
というのも、イギリスの場合は難民審査と申請者庇護の両方を内務省が管轄していますが、日本では審査が法務省なのに対し公的支援は外務省が管轄しており、審査の際法務省から支援制度の案内等は特に行われていないとのこと。そのため民間の支援団体などから情報を得ないとそもそも支援を受けられるということすら知らない人が多いそうです。

このあたりの制度を私は今回のセミナーで初めて知ったんですが、けっこう衝撃的じゃないですか?母国から命からがら逃げてきた人に対してそこからさらに41日間自力で生き延びろというのもすごいですし、不認定の結果が出たその日に支援をストップするというのもなかなか……。

日本とイギリスなど他の国とでは事情が違うので、今すぐ他国と同じようにするのは難しいかもしれません。ですが、日本にやってきた難民申請者をちゃんと保護することが結局日本社会にとってもプラスになるのではないでしょうか?フレディもイギリスで生活できなければクイーンのボーカルになることはなかったわけですし。
必要な保護や支援を与えて難民の人をちゃんと難民と認めれば、それは最終的に日本に良い形で返ってくるだろうと思っています。


(ライブ・エイドの様子。https://www.udiscovermusic.jp/stories/live-aid-31-years より)

昨年12月には入国管理法が改正されるというニュースもありましたし、日本にはこれからより多くの人がやってくるようになります。難民に限らず、そうした日本にやってくる外国の人々とどう向き合うかについてしっかり考えるべきタイミングが来ているように思います。


……なんだか前回に比べてかなり真面目な感じの文章になってしまいましたが、とにかくまだボヘミアン・ラプソディを観ていない人は一度映画館へ行きましょう!ということですね。

次回は、今度こそは今の団体でやってる普段の仕事について書く予定です(また何かタイムリーな話題があれば別ですが)。それではまた。

2019年1月19日土曜日

サラリーマン時代の話【証券営業→法務】


こんにちは、皆様いかがお過ごしでしょうか。ここ最近東京はやたら寒かったですね。インドネシアが恋しい。

私はというと、前回投稿した後このブログの存在が速攻で職場の人にバレました()
せっかく書いたしということでフェイスブックとツイッターにも載せたんですけど、職場の何人かとフェイスブックの友人であることを完全に忘れていたという……。ちゃんとSNSを管理してないとこうなる、という良い例ですね。皆さん気をつけましょう。
まあ別にバレたからどうということもないので(若干の気まずさはありますが)とりあえずこのまま続けようと思います。

さて気を取り直して、今回はサラリーマン時代の話をします。今も給与をもらっているという意味ではサラリーマンですが、営利企業にいた時のことです。そのころのどんな経験が今のNGOの仕事に生かされているのか?について書いていきます。

    証券リテール営業@札幌

大学を卒業したあと某証券会社に入社し、数か月の研修を経て札幌支店で営業をすることになりました。
これが私の人生初の北海道だったわけですが、もう尋常じゃなく寒い。どれくらい寒いかというと、吹雪の日に外回りに行ったら遭難しかけたレベルです。吹雪って本当に目の前見えなくなるんだなということを学びました。

(冬の札幌の写真。この日は吹雪いてはなかったですが、4~5か月は雪が積もったままです)

さて、屋外は雪が吹きすさんでいたわけですが、支店の中はというと怒号が飛び交っていました。「3時までにあと〇〇万!」「〇課収益全然足りてねえぞどうすんだ!!」みたいな感じです。ノルマは基本的に日割りなため、これが毎日続くことになります。
ただ、十年ほど前までは四季報(*)が飛んだり灰皿が飛んだりしていたという話も聞くので、そのころに比べればましになっているようです。若手は定時上がりが基本でしたし(逆に言えば、「働く時間が短い=楽な仕事」ではない、というのを嫌というほど思い知りました)。
(*)四季報:四半期に一度出版される、色々な企業の概要が書いてある本。辞書並みに分厚い。

そもそも何故証券会社に入ったかというと「根性をつけるため」と「自分と縁のなさそうな世界を一度経験するため」だったのですが、その思惑は見事に達成されました。見事にというか想像以上にというか……何にせよ有意義な体験だったことは間違いないです。

ここで、証券の営業とは何をする仕事なのかについて簡単に説明します。
証券営業には「リテール」と「ホールセール」がありますが、私がやっていたのは「リテール営業」の方でした。株や債券、投資信託といった金融商品を主に個人の顧客に対して販売するのが仕事です。普段会えないような人物に会いに行けるといった楽しい側面もありますが、ハードな部分も多いです。
特に入社一年目は新規開拓が主な仕事なので、一日何十件もの飛び込み営業やテレコールが課せられます。名刺すら受け取ってもらえず締め出されたりするとそれなりに堪えますね。あとは、契約が取れたと思ったのに注文を出す前にキャンセルされて落ち込んだり、お勧めした銘柄が下がって焦ったりというのはけっこう日常茶飯事です。

……なんだか気づいたら苦労話ばっかり書いてますね()。まあでも、そんなハードな職場だからこそ身についたこともあります。
なかでも大きいのは、やっぱり結果を出すことに対するこだわりをもつようになったことです。営業は良くも悪くも常に結果が求められるので、どうやったらより良い結果が出せるか?と戦略的に考えてそれを実行できるようになったのは前職での大きな学びの一つです。
今の仕事は結果が単純に数値で出るようなものではないですが、それでも結果にこだわる姿勢は大切にしていこうと思っています。

ちなみに、「営業ならコミュ力ついたんじゃないの?」とたまに言われるんですが、これに関しては正直微妙でした。自分でもそれを狙っていたわけですが、実を言うとプライベートでのコミュ力はさっぱり上がらず……。なので今でも人と話すのは苦手なままですね。
ただ、苦手なままでも仕事はそれなりにこなせる、苦手分野でもある程度はやっていけるという自信はつきました。トップセールスにはなれなかったですが平均以上の成績は出せたので、我ながら人と話すの苦手なわりには頑張ったな、という感じです。

総じて、人間的にかなり鍛えられた2年間でした。

    法務部@東京

どうにか営業を無事終えたのち、20164月に東京へ異動になりました。ここから、20177月に今の職場へ転職するまでの13か月を法務部で過ごしました。

営業での学びが主に精神面だったのに対して、法務部での経験は技術的に直接今の仕事に活きています。
というのも、NGOの仕事はけっこうデスクワークが多いんです。助成金で事業を実施していると特に。
その点法務部の仕事はザ・デスクワークだったので、かなり今の仕事に近い部分があります。しかも超細かいところまで神経を使いつつけっこうな量の書類を捌かなければならないので、そういう作業に必然的に慣れることができました。
契約書や株主総会の招集通知といった会社としての体裁がかかっている書類を扱うので、内容にミスがないかはもちろんのこと書類の見栄えも細かくチェックされます。もう重箱の隅をつつきまわすレベルです。
これだけ書くとただ細かくてストレスの溜まる仕事という感じですが、この時期はわりと楽しかった記憶があります。もともとデスクワークが向いていたのかもしれません。

このとき学んだなかで、今の仕事に具体的に活きているものを以下に箇条書きします。

ü  資料作成能力
ü  文章力
ü  タイムマネジメント
ü  調整力

他にも言いだせばキリがないですがひとまずこれくらいで。
これらはいわゆるビジネスマンに必要なスキルとして挙げられることが多いですが、NGOでも同じように求められます。というか、営利企業でもNGOでもベースとして求められるスキルは大差ないのかな、というのが私の最近の考えです(もちろん仕事内容が全く違うので、あくまで「ベースとしてのスキル」ではありますが)。

上記4つのうち、特に資料作成については法務部に入る前と今とで雲泥の差があるなと実感しています。もちろん大学時代にも授業などで資料を作る機会はありましたが、そのときとの違いは「複数人で作業をする」という点です。
完成までに複数の(ものによっては数十人の)人間が関わるため、ただ資料をつくるのではなく他人がチェックしやすい資料をつくる&揃えるというのを上司や先輩から叩き込まれました。
このチェックしやすいというのが中々大変で、例えば数字が入る資料は元となるデータやそこからの計算方法も込みで上司や先輩にダブルチェックしてもらうのですが、初めの頃はただ資料を完成させるということしか頭になく、そういった根拠書類の揃え方がかなりテキトーでした。そうするとチェックする方はたまったものじゃないので、上司からしつこく注意された覚えがあります。根拠書類は最終的に表に出るものではないのであまり凝りすぎても非効率ですが、最低限整えることはチェックする人に対する礼儀だと思えるようになりました。

そうして、営業に続いて法務部でも色々と学ばせていただいたあと、縁あって現在働いているNGOへ移ることとなりました。
国際協力をやりたいと思いつつあえて新卒で証券会社に入ったことについて、無駄に遠回りしてるんじゃないかと考えることもありましたが、振り返ってみるととても貴重な経験だったなと思います。自分の中に一つ芯ができたような、うまく言えないですがそんな気がしています。

もちろんだからといって、みんな証券会社で修行すべき!というわけではありません。国際協力関係者がみんな証券出身とか普通に可笑しすぎますからね()。ただ、キャリアを考えるときの一つの参考になればとても嬉しいです。


次回は今いるNGOで普段どんなことをしているのかについて書こうかなと思います。それではまた。

(ドゥルガプジャというバングラデシュのお祭り。去年10月に撮影。)

2019年1月6日日曜日

あけましておめでとうございます【ブログ再開します】

皆様大変お久しぶりです&あけましておめでとうございます。いかがお過ごしでしょうか。

前回投稿からもう4年以上も経っている、という事実に自分で驚愕しています。時の流れ怖……。
当時私は某証券会社に勤めていましたが転職し、今は某NGOに入って主に緊急人道支援をしています。
緊急人道支援というのは、自然災害や紛争などの緊急事態が起こった時に被災者に対してサポートをする活動のことを言います。例えば地震や津波の被災者へ物資を配る/仮設住宅を建てる、難民キャンプで診療所を運営する/井戸を掘るなど色々あります。

それでこの緊急人道支援業界ですが、1年半ほど働いて感じているのは人不足すぎる!!なんなんだマジで!ということですね。

なんかこう書くと「すごいブラックってこと?」と思われそうですがそういうわけではないです。むしろ逆で、休日・有給ありますし社会保障もついていて、給与もまあ高くはないですが低すぎることもないです。
※NGOというと無償で働いているイメージを持つ方が多いですが、私は有給スタッフとして働いています。今ググったところ私の現在の給与は同年代の平均年収をやや下回るくらいのようです(給与額はかなりケースバイケースだと思うので、あくまでも私の場合はという話)。

ブラックじゃないなら何故そんなに人が足りないのかというと、一つにはとにかく知られてなさすぎるというのがあります。てかもう情報なさすぎ。転職活動するとき普通に困ったわ。
これはうちの団体がというだけでなく人道支援業界全般に関して、そもそも何をやっているのか、どういう働き方をしているのかという情報が業界の外にいると全然入ってこない。
その結果、もともと強い関心のあるごく限られた人々が大半を占め、特に営利企業からの転職者が少ない、というような状況になってしまっていると感じます。

ブログを再開したのは、この状況を変えたい、というより変えないとヤバいというのが一番の理由です。周りから話を聞く限りこれでも以前よりは人も増えて業界の認知度も上がってきているようですが、正直全然足りてないです。
それに、こんなに魅力的な仕事がこんなに知られてないのはあまりにも勿体ない。ブラック企業の話とかを聞くたび「そんなクソみたいな会社で消耗するくらいだったら一緒に働かない?」と思います。まあそれは極端としても、国際協力やNGOで働くということが特別じゃない普通の選択肢の一つになったら良いなと。

そういうわけで、国際協力業界で働くことに多少なり関心がある人向けに、今の仕事の内容やキャリアのことなんかをこのブログで書いていこうかと考えてますが、もちろんそれ以外の方にも読んでいただければ幸いです。
それと、もし国際協力の関係者の方で読んでくださっている方がいれば、ぜひアドバイス・ご指摘をいただきたいです。私自身まだ全然詳しくなくて間違ったことを書くかもしれませんし、これから勉強していかないといけないと思っているので、よろしくお願いします。

さて、本当はここから「営利企業での経験が今の仕事にどう役立っているか」という話を書こうと思ったのですが、ちょっと文字数が多くなってしまったので次回に回そうと思います。なんだかブログ再開するよ!という宣言だけになってしまいましたが……。とりあえず、国際協力業界は魅力的なわりに人不足(だから狙い目かも?)というのが今回の主旨です。具体的にどう魅力的なのか、も追々書いていこうかと。

最後に、内容とは関係ないですが今私が担当しているインドネシア事業の事業地で撮った写真です。リンジャニ山という、富士山と同じくらいの高さがある火山です。朝焼けに染まるリンジャニ山は絶景です。



それではまた。