2019年1月26日土曜日

ボヘミアン・ラプソディ最高でした【日英の難民保護制度の話】


皆様こんばんは。いかがお過ごしでしょうか。私はインドネシアへの出張を来月に控えてワクワクしているところです。

ところで皆さん、ボヘミアン・ラプソディはもうご覧になりましたか?

 
(映画.comHPより。 https://eiga.com/movie/89230/)

もしかすると「いや、今更かよ()」と言われそうですが、このあいだまで仕事でバタバタしていたので大目に見ていただきたい。
以前から気になっていて、周りの人からの評判もすごく良かったので観たいとずっと思っていたのですが、先日ついに映画館へ行ってきました。で、感想ですが。
 
最高すぎるので全人類が一度は観るべき。
 
どれくらい最高だったかというと、家帰って気づいたらAmazonでサントラを買っていたというレベルです。
私これまでクイーンってあまり聴いたことなかったんですけど、これはハマりそうですね。というか当時リアルタイムでライブ・エイドを観てた人羨ましすぎる。

さて、映画でも少し触れられていましたが、フレディはもともとイギリス生まれではありませんでした。ザンジバルという現在タンザニア領の島に生まれ、17歳のときに英国へ難民として逃れてきたそうです。
※詳しくは以下の記事がわかりやすいので、ご興味のある方はどうぞ。

私は仕事柄、難民と一口に言っても色々な人がいることは知っていましたが、「あのフレディ・マーキュリーが難民だった」というのはけっこう驚きました。


そんな折、ちょうどイギリスの難民保護制度に関するセミナーの案内が来たので行ってみることにしました。この前の月曜のことです。
興味深いセミナーだったので、今回はそこで学んだことについて書いていきます。(前回「次はNGOの普段の仕事について書く」と言いましたが、こっちの方がタイムリーな話題なのでつい……。)

こちらのセミナーですが、イギリスと日本の専門家を呼んでそれぞれの国の難民保護制度の現状について学ぶというもので、「なんみんフォーラム(Forum for Refugee JapanFRJ)」という団体が主催でした。

「イギリスと日本の難民保護制度を学ぶ」と書きましたが、それは裏を返せば日本にも難民がいるということです。
あまり知られていませんが、日本でも毎年多くの人が難民として申請をしています。
では、具体的に何人くらいいるのでしょうか?

以下の法務省HPで正確な数字を見ることができます。
これによると、平成29(2017)申請者数が19,628だったのに対し、難民として認定されたのは20人、人道配慮による在留許可が45人で、合計65人が日本に在留する許可を得ました。申請者全員が年内に審査結果が出たわけではないと思いますが、それを脇に置いて概算すると、在留が許可された割合は約0.3%になります。
いや0.3%って低すぎない?って感じですよね。住宅ローンの金利かっていう。
つまり海を越えてやってきた人々のうち千人に3人しか日本にいることが認められず、残りの997人は権利を求めて戦うか母国に帰るかしかないということになります。

ちなみにイギリスではどうかというと、セミナーでもらった資料によると20189月までの1年間で27,966の申請があり、難民認定または人道的保護による在留許可を得たのはそのうちの30とのことです。

もちろん、イギリスと日本では事情が違うので単純に比較するべきじゃないとは思います。出身国申請者の中には、例えば日本に在留して単に高い収入を得るために難民申請しているという人もきっとゼロではないでしょう。
ただ、それにしたって日本の認定率低すぎるのでは?という思いはありますが……。

ここまで、難民として認定する/しないという話をしてきましたが、そもそも何をもって難民と言うのか?という点について簡単に説明します。
「難民条約」という条約があり、第1条で難民が定義されています。長いのでここで引用するのは避けますが、ざっくり言うと「人種や宗教などの理由で迫害される可能性があるため母国から逃げてきた人」となります。
ポイントは、「迫害」される可能性があるので逃げてきたということです。「難民」というと何となく貧しい子供などをイメージしがちですが、経済的に貧しいというだけではここでいう難民にはあたらないことになります。
難民条約では難民の定義だけでなくその権利(例えば、追放や送還をされないなど)も決められています。日本もイギリスもこの条約に加盟しているので、申請をして難民だと認められた場合は正式に在留する権利を得ることになります。

では、難民として申請すると具体的にどのような流れで審査が進むのでしょうか?また、申請中はどんな保護が受けられるのでしょうか?

まずイギリスの場合。難民申請をすると、まずスクリーニング面接というのを受けます。これは申請した後比較的早く実施されるそうです。ここで氏名や国籍など簡単な質問に答えるのですが、重要なのは困窮している場合はこの時点から最低限の住居と食事の支援を受けられるということです。庇護支援というもので、法律でしっかりと定められています。また、審査の結果が不認定となり在留許可が下りなかった場合でも21日間の猶予期間があり、庇護支援はこの間も継続します。そのため申請者はこの間に次どうするか、つまり決定に異議を出すか、難民であることを示す新たな証拠を入手して提出するか、または自主帰還するかなどを落ち着いて考えることができます。さらに子供がいる場合は21日を過ぎても出国まで継続して庇護支援を受けることができます。

ここまで読んで、皆さんどう感じますか?この体制で充分かと言われるとおそらく色々問題もあるのでしょうが、私は「少なくともすぐ路頭に迷うことはなさそうだな」と感じました。最低限のセーフティネットがちゃんと機能しているという印象です。

では次に日本の場合を見てみます。日本では、申請をしてから公的支援が受けられるようになるまでの間に待期期間が平均41日間あり、この間にホームレスに陥ってしまう可能性があります。また認定・不認定の結果が出るまで平均で2年以上もかかるのですが、それに対して公的支援の支給は平均11か月で終わってしまいます。つまり難民申請の手続き中に公的支援が受けられない期間が長く存在するということです。さらに、審査の結果不認定となるとその日から公的支援の支給はストップしてしまいます。
加えて、そもそも公的支援の利用人数が少なく、全申請者の1%強しかないという問題があります。これは支援を必要とする人が少ないのではなく制度が周知されていないからです。
というのも、イギリスの場合は難民審査と申請者庇護の両方を内務省が管轄していますが、日本では審査が法務省なのに対し公的支援は外務省が管轄しており、審査の際法務省から支援制度の案内等は特に行われていないとのこと。そのため民間の支援団体などから情報を得ないとそもそも支援を受けられるということすら知らない人が多いそうです。

このあたりの制度を私は今回のセミナーで初めて知ったんですが、けっこう衝撃的じゃないですか?母国から命からがら逃げてきた人に対してそこからさらに41日間自力で生き延びろというのもすごいですし、不認定の結果が出たその日に支援をストップするというのもなかなか……。

日本とイギリスなど他の国とでは事情が違うので、今すぐ他国と同じようにするのは難しいかもしれません。ですが、日本にやってきた難民申請者をちゃんと保護することが結局日本社会にとってもプラスになるのではないでしょうか?フレディもイギリスで生活できなければクイーンのボーカルになることはなかったわけですし。
必要な保護や支援を与えて難民の人をちゃんと難民と認めれば、それは最終的に日本に良い形で返ってくるだろうと思っています。


(ライブ・エイドの様子。https://www.udiscovermusic.jp/stories/live-aid-31-years より)

昨年12月には入国管理法が改正されるというニュースもありましたし、日本にはこれからより多くの人がやってくるようになります。難民に限らず、そうした日本にやってくる外国の人々とどう向き合うかについてしっかり考えるべきタイミングが来ているように思います。


……なんだか前回に比べてかなり真面目な感じの文章になってしまいましたが、とにかくまだボヘミアン・ラプソディを観ていない人は一度映画館へ行きましょう!ということですね。

次回は、今度こそは今の団体でやってる普段の仕事について書く予定です(また何かタイムリーな話題があれば別ですが)。それではまた。

2019年1月19日土曜日

サラリーマン時代の話【証券営業→法務】


こんにちは、皆様いかがお過ごしでしょうか。ここ最近東京はやたら寒かったですね。インドネシアが恋しい。

私はというと、前回投稿した後このブログの存在が速攻で職場の人にバレました()
せっかく書いたしということでフェイスブックとツイッターにも載せたんですけど、職場の何人かとフェイスブックの友人であることを完全に忘れていたという……。ちゃんとSNSを管理してないとこうなる、という良い例ですね。皆さん気をつけましょう。
まあ別にバレたからどうということもないので(若干の気まずさはありますが)とりあえずこのまま続けようと思います。

さて気を取り直して、今回はサラリーマン時代の話をします。今も給与をもらっているという意味ではサラリーマンですが、営利企業にいた時のことです。そのころのどんな経験が今のNGOの仕事に生かされているのか?について書いていきます。

    証券リテール営業@札幌

大学を卒業したあと某証券会社に入社し、数か月の研修を経て札幌支店で営業をすることになりました。
これが私の人生初の北海道だったわけですが、もう尋常じゃなく寒い。どれくらい寒いかというと、吹雪の日に外回りに行ったら遭難しかけたレベルです。吹雪って本当に目の前見えなくなるんだなということを学びました。

(冬の札幌の写真。この日は吹雪いてはなかったですが、4~5か月は雪が積もったままです)

さて、屋外は雪が吹きすさんでいたわけですが、支店の中はというと怒号が飛び交っていました。「3時までにあと〇〇万!」「〇課収益全然足りてねえぞどうすんだ!!」みたいな感じです。ノルマは基本的に日割りなため、これが毎日続くことになります。
ただ、十年ほど前までは四季報(*)が飛んだり灰皿が飛んだりしていたという話も聞くので、そのころに比べればましになっているようです。若手は定時上がりが基本でしたし(逆に言えば、「働く時間が短い=楽な仕事」ではない、というのを嫌というほど思い知りました)。
(*)四季報:四半期に一度出版される、色々な企業の概要が書いてある本。辞書並みに分厚い。

そもそも何故証券会社に入ったかというと「根性をつけるため」と「自分と縁のなさそうな世界を一度経験するため」だったのですが、その思惑は見事に達成されました。見事にというか想像以上にというか……何にせよ有意義な体験だったことは間違いないです。

ここで、証券の営業とは何をする仕事なのかについて簡単に説明します。
証券営業には「リテール」と「ホールセール」がありますが、私がやっていたのは「リテール営業」の方でした。株や債券、投資信託といった金融商品を主に個人の顧客に対して販売するのが仕事です。普段会えないような人物に会いに行けるといった楽しい側面もありますが、ハードな部分も多いです。
特に入社一年目は新規開拓が主な仕事なので、一日何十件もの飛び込み営業やテレコールが課せられます。名刺すら受け取ってもらえず締め出されたりするとそれなりに堪えますね。あとは、契約が取れたと思ったのに注文を出す前にキャンセルされて落ち込んだり、お勧めした銘柄が下がって焦ったりというのはけっこう日常茶飯事です。

……なんだか気づいたら苦労話ばっかり書いてますね()。まあでも、そんなハードな職場だからこそ身についたこともあります。
なかでも大きいのは、やっぱり結果を出すことに対するこだわりをもつようになったことです。営業は良くも悪くも常に結果が求められるので、どうやったらより良い結果が出せるか?と戦略的に考えてそれを実行できるようになったのは前職での大きな学びの一つです。
今の仕事は結果が単純に数値で出るようなものではないですが、それでも結果にこだわる姿勢は大切にしていこうと思っています。

ちなみに、「営業ならコミュ力ついたんじゃないの?」とたまに言われるんですが、これに関しては正直微妙でした。自分でもそれを狙っていたわけですが、実を言うとプライベートでのコミュ力はさっぱり上がらず……。なので今でも人と話すのは苦手なままですね。
ただ、苦手なままでも仕事はそれなりにこなせる、苦手分野でもある程度はやっていけるという自信はつきました。トップセールスにはなれなかったですが平均以上の成績は出せたので、我ながら人と話すの苦手なわりには頑張ったな、という感じです。

総じて、人間的にかなり鍛えられた2年間でした。

    法務部@東京

どうにか営業を無事終えたのち、20164月に東京へ異動になりました。ここから、20177月に今の職場へ転職するまでの13か月を法務部で過ごしました。

営業での学びが主に精神面だったのに対して、法務部での経験は技術的に直接今の仕事に活きています。
というのも、NGOの仕事はけっこうデスクワークが多いんです。助成金で事業を実施していると特に。
その点法務部の仕事はザ・デスクワークだったので、かなり今の仕事に近い部分があります。しかも超細かいところまで神経を使いつつけっこうな量の書類を捌かなければならないので、そういう作業に必然的に慣れることができました。
契約書や株主総会の招集通知といった会社としての体裁がかかっている書類を扱うので、内容にミスがないかはもちろんのこと書類の見栄えも細かくチェックされます。もう重箱の隅をつつきまわすレベルです。
これだけ書くとただ細かくてストレスの溜まる仕事という感じですが、この時期はわりと楽しかった記憶があります。もともとデスクワークが向いていたのかもしれません。

このとき学んだなかで、今の仕事に具体的に活きているものを以下に箇条書きします。

ü  資料作成能力
ü  文章力
ü  タイムマネジメント
ü  調整力

他にも言いだせばキリがないですがひとまずこれくらいで。
これらはいわゆるビジネスマンに必要なスキルとして挙げられることが多いですが、NGOでも同じように求められます。というか、営利企業でもNGOでもベースとして求められるスキルは大差ないのかな、というのが私の最近の考えです(もちろん仕事内容が全く違うので、あくまで「ベースとしてのスキル」ではありますが)。

上記4つのうち、特に資料作成については法務部に入る前と今とで雲泥の差があるなと実感しています。もちろん大学時代にも授業などで資料を作る機会はありましたが、そのときとの違いは「複数人で作業をする」という点です。
完成までに複数の(ものによっては数十人の)人間が関わるため、ただ資料をつくるのではなく他人がチェックしやすい資料をつくる&揃えるというのを上司や先輩から叩き込まれました。
このチェックしやすいというのが中々大変で、例えば数字が入る資料は元となるデータやそこからの計算方法も込みで上司や先輩にダブルチェックしてもらうのですが、初めの頃はただ資料を完成させるということしか頭になく、そういった根拠書類の揃え方がかなりテキトーでした。そうするとチェックする方はたまったものじゃないので、上司からしつこく注意された覚えがあります。根拠書類は最終的に表に出るものではないのであまり凝りすぎても非効率ですが、最低限整えることはチェックする人に対する礼儀だと思えるようになりました。

そうして、営業に続いて法務部でも色々と学ばせていただいたあと、縁あって現在働いているNGOへ移ることとなりました。
国際協力をやりたいと思いつつあえて新卒で証券会社に入ったことについて、無駄に遠回りしてるんじゃないかと考えることもありましたが、振り返ってみるととても貴重な経験だったなと思います。自分の中に一つ芯ができたような、うまく言えないですがそんな気がしています。

もちろんだからといって、みんな証券会社で修行すべき!というわけではありません。国際協力関係者がみんな証券出身とか普通に可笑しすぎますからね()。ただ、キャリアを考えるときの一つの参考になればとても嬉しいです。


次回は今いるNGOで普段どんなことをしているのかについて書こうかなと思います。それではまた。

(ドゥルガプジャというバングラデシュのお祭り。去年10月に撮影。)

2019年1月6日日曜日

あけましておめでとうございます【ブログ再開します】

皆様大変お久しぶりです&あけましておめでとうございます。いかがお過ごしでしょうか。

前回投稿からもう4年以上も経っている、という事実に自分で驚愕しています。時の流れ怖……。
当時私は某証券会社に勤めていましたが転職し、今は某NGOに入って主に緊急人道支援をしています。
緊急人道支援というのは、自然災害や紛争などの緊急事態が起こった時に被災者に対してサポートをする活動のことを言います。例えば地震や津波の被災者へ物資を配る/仮設住宅を建てる、難民キャンプで診療所を運営する/井戸を掘るなど色々あります。

それでこの緊急人道支援業界ですが、1年半ほど働いて感じているのは人不足すぎる!!なんなんだマジで!ということですね。

なんかこう書くと「すごいブラックってこと?」と思われそうですがそういうわけではないです。むしろ逆で、休日・有給ありますし社会保障もついていて、給与もまあ高くはないですが低すぎることもないです。
※NGOというと無償で働いているイメージを持つ方が多いですが、私は有給スタッフとして働いています。今ググったところ私の現在の給与は同年代の平均年収をやや下回るくらいのようです(給与額はかなりケースバイケースだと思うので、あくまでも私の場合はという話)。

ブラックじゃないなら何故そんなに人が足りないのかというと、一つにはとにかく知られてなさすぎるというのがあります。てかもう情報なさすぎ。転職活動するとき普通に困ったわ。
これはうちの団体がというだけでなく人道支援業界全般に関して、そもそも何をやっているのか、どういう働き方をしているのかという情報が業界の外にいると全然入ってこない。
その結果、もともと強い関心のあるごく限られた人々が大半を占め、特に営利企業からの転職者が少ない、というような状況になってしまっていると感じます。

ブログを再開したのは、この状況を変えたい、というより変えないとヤバいというのが一番の理由です。周りから話を聞く限りこれでも以前よりは人も増えて業界の認知度も上がってきているようですが、正直全然足りてないです。
それに、こんなに魅力的な仕事がこんなに知られてないのはあまりにも勿体ない。ブラック企業の話とかを聞くたび「そんなクソみたいな会社で消耗するくらいだったら一緒に働かない?」と思います。まあそれは極端としても、国際協力やNGOで働くということが特別じゃない普通の選択肢の一つになったら良いなと。

そういうわけで、国際協力業界で働くことに多少なり関心がある人向けに、今の仕事の内容やキャリアのことなんかをこのブログで書いていこうかと考えてますが、もちろんそれ以外の方にも読んでいただければ幸いです。
それと、もし国際協力の関係者の方で読んでくださっている方がいれば、ぜひアドバイス・ご指摘をいただきたいです。私自身まだ全然詳しくなくて間違ったことを書くかもしれませんし、これから勉強していかないといけないと思っているので、よろしくお願いします。

さて、本当はここから「営利企業での経験が今の仕事にどう役立っているか」という話を書こうと思ったのですが、ちょっと文字数が多くなってしまったので次回に回そうと思います。なんだかブログ再開するよ!という宣言だけになってしまいましたが……。とりあえず、国際協力業界は魅力的なわりに人不足(だから狙い目かも?)というのが今回の主旨です。具体的にどう魅力的なのか、も追々書いていこうかと。

最後に、内容とは関係ないですが今私が担当しているインドネシア事業の事業地で撮った写真です。リンジャニ山という、富士山と同じくらいの高さがある火山です。朝焼けに染まるリンジャニ山は絶景です。



それではまた。