2025年1月13日月曜日

引っ越しのご連絡

 皆様いかがお過ごしでしょうか。

このたびブログを別サイトへ引っ越すことにしました。

引越し先はこちら↓

https://note.com/rurika_i


なお、こちらのページは過去記事置き場としておく予定ですが、最近書いた4件は新サイトの方に移動しています(古いURLをブックマークしてくださっている方がもしいたらすみません)。


新しいサイトの方でも何卒よろしくお願いします。ではまた。

2022年11月7日月曜日

転職期間中の生活について【優雅に無職生活?】

 徐々に日が短くなっている今日この頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。私はというと前いたのとは別のNGOに今年6月に転職して慌ただしい日々を送っております。勤務地は日本ですが、近々ケニアへ出張に行くのでとても楽しみです!前回のブログに書いた通り東アフリカで紛争解決の仕事をしたいと思っていたので、まさにそれが出来る職場に来れてラッキーだなと思っています。  
 
 今やっている仕事についてはまた別の機会に書くとして、今回は転職するまでの期間に何をしていたかについて書いていきます。1月末に前職を辞めてから6月上旬に今のところに入るまでの約4か月間、バイトなどもせず無職で生活していました。この間ずっと日本にいたのであまり劇的な話はないですが、JPOを受けたりフランス語を始めたりと自分なりに有意義に過ごせたんじゃないかと思っています。国際協力業界は転職する機会が多く一定期間フリーになるのはよくあるので、今後のためにもポイントをまとめてみました。

〈昨年末ナイロビから帰国する飛行機の窓から〉

《失業保険の受け取り》  

 前職を辞めてまず最初にやったのが失業保険の受給手続きです。私は受給するのが初めてだったので色々勉強になりました。手続きしたらすぐもらえるものだと思いこんでいたのですが、実際は自己都合退職の場合だと最初の2か月と1週間は支給されないそうです(詳しくはこちら)。 なのである程度貯金を作ってから辞める必要がありますね。とはいえNGOは世間でイメージされているほど給与悪くないのと海外駐在中はけっこうお金貯まるので(なにせ使い道がない笑)、今からNGOに入る人もそんなに心配しなくて良いのでは、というのが私の個人的な印象です。
 また、受給手続きは一回行って終わりではなく、大体月に一度はハローワークに行く必要があります。そのため何か月も海外に行くなどは厳しいかもしれません(もしかしたら交渉できるのかもですが私は今回試してないので不明)。「働く意志があり求職活動をしていること」が受給要件なので本来ならどこに居ても受け取れるべきだと思いますが、なかなか難しそうです。 


〈今年の春のお花見〉

 《自己研鑽》  

 仕事を辞めて時間ができたので、せっかくなら有効活用しようと色々勉強を始めました。特に、前に勤めていた団体は平和構築や紛争解決をあまり専門的にやっていなかったので、それに関する論文やレポートを読んだりしました。この分野は国際機関の中ではUNDPが牽引しているようで色々とレポートが出ています。結局4ヶ月の間には全然調べきれなかったので、今もなんとか時間を見つけて調べようとしているところです(働きながらだとスピードがた落ちですが……1日30時間欲しい)。
 また、フランス語の勉強も本格的に始めました。もともと将来的には中央~西アフリカでも仕事がしたいと考えていたので「いずれフランス語やらないとなぁ」とここ数年ずっと思いながらも、ぶっちゃけ語学があまり好きではないのでずっと棚上げにしていました。ですが、去年ケニアでコンゴ難民の方と出会い、一生懸命こちらと話そうとしてくれているのにそれに応えることができず、これでは駄目だと思ったのが切っ掛けです。
 最初は文法書を買って独学でやっていたのですが、4月からはPreplyというサービスでオンラインのレッスンを受けています。Preplyを選んだのは単に「フランス語 オンライン」とかでgoogle検索して上の方に出てきたからだった気がしますが、自分の都合に合わせて柔軟にスケジュールを組むことができますし、価格もそんなに高くないので重宝しています。カメルーン人の先生を選んだので語学だけでなくカメルーンの社会状況も聞けて勉強になります。


〈ゴールデンウィーク頃に撮ったスカイツリー。久しぶりの国内観光〉


 《転職活動》 

 転職活動については、働いていない分の時間をフル活用して色々なところに挑戦した……と言いたいところですが、実は今所属しているNGOを入れて3つしか受けませんでした。しばらくは無職を満喫してのんびり休養や自己研鑽に充てようと思っていたからです。
  3つ受けたうちの一つはJPOで、ユニセフ東南部アフリカ地域事務所のモニタリング&評価(M&E)担当官に応募したのですが、こちらは書類は通ったものの面接で落ちてしまいました。話し方などでミスをした感覚はあまりないので、単純にM&Eの専門性が弱かったのかもしれないなと思っています。東アフリカで働くのを最優先にして応募先を決めたため、自分のやりたいことや強みのアピールが足りなかったのかもしれません。もちろんドンピシャのポストで募集があることは稀ですが、キャリアの一貫性をもう少し意識しなければと反省しました。
 JPOには落ちてしまいましたが、今いる団体の活動領域は自分の関心分野とかなり合致しているので結果的には良かったなと思っています。この業界にいると「どこで働くかは結局のところ巡り合せ次第」とよく聞きますが、実際私が今の職場に入ったのはたまたま友人が職員募集の情報を教えてくれたからなので、確かに巡り合せは大事だなと実感しています。ただ一方で、東アフリカで紛争予防をする、という軸には拘るようにしているので、多分今のところに入っていなくても同じ分野で働いてはいただろうなとも思います。上で書いたキャリアの一貫性の話とも繋がりますが、自分がなぜこの仕事をしているのかという目的を忘れないようにしたいです。

 
〈去年ナイロビで撮った写真〉

 というわけで、気づけば4ヶ月の無職期間はあっという間に過ぎ去っていきました。無職というと一般的にネガティブなイメージがありますが、長めの休暇を取っていると考えればそんなに悪いものでもないという気がしています。上では真面目なことばかり書きましたが、趣味のキックボクシングを再開したり国内旅行をしたりとしっかり羽も伸ばしてます。こういう期間があってもそれほどキャリアの障害にならないのはこの業界の良いところかなと思います。
 ちなみに今後ですが、しばらくは今の仕事を通じて紛争予防の専門性を身につけるつもりです。加えて、マネジメントの能力ももっと伸ばしたいと思っています。NGO職員(特に事業担当)は何でも屋なところがあるので特定分野の専門性を身につけづらいと感じていますが、逆に言えば事業運営に関しては既に複数の国や分野で経験しているので強みと言えるかなと(マネジメントをするのが結構好きなのもあります)。どうせなら実務だけでなくマネジメント系の資格も取っておこうかと色々検討中です。


〈旅行先の函館で見た夜景〉

 なんだか今回は終始地味な話でしたが、次回はまたケニアやアフリカの他の国のことなど書きたいなと思っています。それではまた。 

2021年3月17日水曜日

ブラッドフォード留学記②【ロックダウンで引きこもり生活】

皆さまご無沙汰しております、いかがお過ごしでしょうか。前回投稿から1年以上空いてしまいましたが生きてます。

去年の秋にイギリスから日本に帰国して、今は前と同じNGOの東京事務所で働いています。そして今年4月からケニア駐在として現地に行けることになりました!!(やった~~!)

前からアフリカ駐在になりたいと思っていて、去年授業でガンビアに行ってから余計にその気持ちが強くなっていたので嬉しい限り。

それで、イギリス留学のことはケニアに行く前に書いてしまおうということで今回久しぶりにブログを更新したというわけです(帰国直後に書けって感じですが何せ筆が遅いので……)。

〈帰国直前に行った湖水地方の写真〉

さて、今回は前回書いた留学記の続きということで去年の今頃、20203月以降の話になるわけですが、この時期にはもうコロナウイルスがヨーロッパまで拡大していました。なので317(ちょうど1年前!)から大学の対面授業は全て休止になってしまいました。

イギリスは全土が一時的にロックダウンになったため、ブラッドフォードでもショッピングモールは長期間クローズ、市場やスーパーはもともと短い営業時間がさらに短縮されました。外出すると法的に罰則がつく(例外は有り)ので日本よりも厳しい措置といえますが、それでも日本より感染が拡大してしまったのはよく知られている通りです。その原因が何かは分からないですが、向こうで暮らしていたときの印象としてマスクを着けている人が少ない、というのはあります。多分これまでマスクを付ける習慣が全く無かったのだろうなと。

とはいえ、逆に日本で「感染症対策のために皆サングラスつけてください」と言ってもあまり広まらなそうなので、習慣が無い国でマスク着用がなかなか浸透しないのはある程度仕方ない気もしますね。そう考えると日本にマスクを付ける文化が元々あったのはラッキーなのかもしれません。

〈ロックダウン中のキャンパスの写真。良い天気なのに誰も歩いていない〉

そんなわけで引きこもり生活を余儀なくされたわけですが、私は生まれつきインドア派なので正直ほとんど問題はありませんでした。修論の時期になったらそもそもコロナ関係なく皆引きこもらざるを得ないので、それが少し早まっただけという感覚です。

ただ、それでちゃんと研究に集中していればいいのですが、何を思ったのか麻雀牌を買ったりポーカーのルールを覚えたりとけっこう気ままに過ごしてましたね……(ギャンブルばっかやないか、と言われそうですがお金は賭けてないです)。我ながら自堕落大学生のテンプレ過ぎないか??

そんな感じの生活をしていたので当然修論はギリギリまで追い込まれてピンチだったのですが、何とか〆切前に出して無事卒業することが出来ました(出来てなかったら洒落にならない)。ちなみにテーマは「緊急人道支援の調整システムについて」で、以前このブログに書いたことを深掘りしたような感じです。バングラデシュのロヒンギャ難民支援を事例に選んだので自分が現地にいた時から知っていたことも多かったのですが、やっぱり文献調査を通じて体系立てて理解することで初めて見えてくるものもあるな、と感じました。クラスターシステムがまだまだ発展途上なこととか、調整システムの評価にも色々な軸があることとか、それにしてもIOMUNHCR仲悪いな、とか。

結構面白いテーマだと思うので、関心のある方はぜひ調べてみてください。

〈ロンドンのタワー・ブリッジ〉

そうして9月の上旬に修論を提出して、しばらくイギリス国内を観光してから帰ってきました。引きこもり生活のせいでこれ以上書けることが無いので、今後イギリスに留学する人が知っておくと役立つかなと思うことを二つほど紹介します。

NHSについて

イギリスの国民健康保険制度のことを略してNHSといい、これは6か月以上のビザを持っていれば外国人でも加入できます。加入は任意ですが入っておいた方が良いと思います。そして何より、最初にかかりつけ医(GP)を登録しておくことが肝心です。何故かというと、いざ実際に体調が悪くなったときにGPを登録しようとしてもすぐには新規登録させてもらえない可能性があるからです。

特に私がNHSを利用したのは去年の今頃で、よりによってコロナが拡大し始めたタイミングで喘息になってしまったのでした。一応喘息の既往歴がある自覚はありましたが、過去に症状が出たのは10年近く前の一度きりだったのに何故今!?という。幸いそこまで激しい症状ではなかったですが、コロナなのではとフラットメイトがかなり気にしていて申し訳ないなあと。なのであまり放置するわけにもいかず、かといってこの状況で何の予約もなしに病院に行くのも良くないだろうとまずNHSに電話しました。そこでGPのことを聞かれたのですが、大学入学手続きの時に合わせて登録していたことを私は愚かにもすっかり忘れており、登録していないと答えてしまいました。するとオペレータから「この病院で新規登録するように」と案内されたのですが、その病院に電話してみるとなんと新規登録は1か月待ち!コロナのせいで完全にパンクしているようでした。これはマズイとなって、そもそもGPとは何かなど色々調べたところ入学時に登録していたことが判明して事なきを得たのですが、これが本当に登録していなかったらと思うとゾッとします。

ちなみに、NHSの手続き自体はスムーズでした。電話越しの問診で診断が下されて医師から薬局に連絡が行くため、病院へ行かずに直接薬局へ行って薬を受け取ることができました。ここには日本とイギリスの考え方の違いがある気がします。日本では少しでも体調に違和感があればすぐ医者へという風潮(少なくともコロナ前までは)があるのに対して、ちゃんと調べたわけではないですが恐らくイギリスではなるべく受診者数を減らそうとしているのだと思います。なので問診も対面ではなく電話越しで完結したのではないかと。医師にしっかり診てもらいたい!という人には不満かもしれませんが、私は体調の悪いときはできる限り誰にも会いたくないタイプなので、かなり自分に合っている制度だと感じました。英語で問診に答えなければいけないのが大変ではありますが、それでも体調が悪いなか外出して医師と面談するよりはマシです。

②銀行口座について 

私はSMBCプレスティアの外貨口座を使ったのですが、これがけっこう便利でした。先にポンドを一年で使いそうな金額分買っておくことで為替リスクを減らすことができます(*)。デビットカードを使って口座内のお金を現地のATMから直接引き出すことができ、オンライン決済にも使えます。

なのでこの口座さえあれば現地でほとんど生活に困らなかったのですが、一回だけイギリスの銀行口座からでないとできない支払いがありました。最後の1か月だけ住んだ寮が現金やデビットカードの支払いを受け付けておらず、結局その時は友人に立て替えてもらったのですが、こうしたケースもあるので時間に余裕があるなら現地の銀行口座も開いた方が無難だと思います。また、プレスティアの口座はある程度お金を入れておかないと口座管理手数料を取られるので注意が必要です。

(*)リスクを減らすというのは「振れ幅を減らす」という意味なので、損をしないという意味ではないです。ポンドを買った後に円高ポンド安になったら損になります。(元証券マンっぽい説明)

〈ヨーク城。ヨークはブラッドフォードから1時間程度で行けます〉

最後に、ブラッドフォード留学の特徴をまとめておきます。

・本当に色々な国の留学生と交流できます。これについては多分ブラッドフォードの平和学部がイギリス国内でも随一ではないかと思います。もちろん年によって多少変わりますしある程度国や地域の偏りはありますが、国際色に満ちた環境が好きな方にはかなりおススメできます。

・平和・紛争・開発コースはかなり実務家向けで、留学生の大半が実務家志望あるいは実務経験者になります。上述の通り国籍のバリエーションが豊富なので、授業中に色々な国の事例をもとに議論ができて学びが深まります。

・とにかく気候と食事が厳しいので覚悟した方が良いです(笑……えない本当に)。夏は晩秋~冬よりもマシですが、それはそれで日が長すぎてしんどいですね。朝4時から夜10時頃まで日が出ているので、、。

・ブラッドフォードでいわゆる「イギリスっぽさ」を感じることはまずありません(断言)。なので、イギリスを体感するには観光をおススメします。ロンドン、湖水地方、ヨークなど帰国直前に色々行きましたがどこもすごく良かったのでぜひ。

 

大体こんなところでしょうか。次はケニアのことを書けたら良いなと思いますが、予定は未定です。それではまた。


2020年2月4日火曜日

ブラッドフォード留学記①【イギリスというよりパキスタン?】(後編)


(こちらは「ブラッドフォード留学記①」の後編になります。もし前編をまだ読まれていない方は先にそちらをお読みいただくことをおススメします。)

街や周囲の人々については概ねこんな状況です。色々な国の人々に囲まれてそこそこ楽しく日々を過ごしているわけですが、逆に大変だったことは何か?と聞かれたらダントツで気候と答えます。それくらいヤバいです。
「気候が厳しい」と聞くと多分暑さ寒さが厳しいというのを想像すると思うのですが、イギリスの場合は晴れの日がとにかく少ないことが大きな問題です。もうとにかく毎日曇り、曇り、曇り。しかもブラッドフォードの街並みはほとんど同じ黄土色の壁の建物で構成されているため、視覚的な憂鬱さを増幅します。
9月に来た当初は、空港に着いた日が晴れていたこともあって「なんだ霧の国とかいって全然晴れてるじゃ~ん」などと余裕ぶっこいていたのですが、10月後半から文字通り雲行きが怪しくなり、11月は月末以外ずっっっと曇ってましたね。加えて日照時間自体もどんどん短くなっていくのでかなり精神的にキます。

(曇天。ツイッター等には晴れの写真しか上げてませんでしたが実際はこんな天気の方が多いです。)

12月になるとまた晴れの日が増え始めて、冬至を越えてからは精神的にも多少は楽になりました。なのでとにかく11月が一番しんどかったですね。私は特に青空が見えないとすぐ気が滅入るタイプなんですが、周りの同級生たちもけっこうこの時期調子を崩していたように思います。とにかく日光を浴びたい一心で課題明けの冬休み後半にスペイン南部へ旅行に行ったりもしました(スペイン最高)。皆様がもしイギリスに旅行されるときは冬季ではなく夏季をおススメします。特に11月は絶対やめた方がいいです。青空がなくても気にしない方であれば別ですが。
なお、気温は思ったほど寒くなく、東京と同じかむしろ暖かいように感じます。ただ風はすごく強いです。

 (曇天のリーズ。リーズはブラッドフォードの隣の街です。)

イギリス留学で大変なこととしてまず気候を挙げましたが、おそらく多くの人は真っ先に別のことを思い浮かべるのではないでしょうか。
そう、食事ですね。メシマズ大国として有名なイギリスですが、実際どうかというと……まあ、想像通りといったところでしょうか。。。「必然的に自炊が上手くなる」というメリットがあります。食材は新鮮なものが近場で色々手に入りますし、働いていた時よりも時間があるのでなるべく自炊をするようにしています。ラム肉のトマト煮込み美味しい。
といっても、全ての外食が不味いわけではなく美味しいところもちゃんとあります。私のおススメはインドカレー、中華、タイ料理ですね。
……え、全部外国の料理じゃないかって?フィッシュ&チップスはどうなのかって?
何回か食べましたが、そんなに不味くはなかったです。けどすごく美味しいかと言われると、という感じです。そもそも魚のフライとポテトってそんなに美味くも不味くもならなくない?と思うわけですが、聞いたところによるとものすご~く不味いフィッシュ&チップスが近場で手に入るらしいです。私は怖くてまだ手を出してないんですが、気が向いたら一回くらい記念に食べてみるかもしれません。
というかですね、多分探せばもっとあるんですよ美味しいお店。街の中心部で色々巡ってみるとか隣町のリーズまで出るとか。でもそこまでする気力がわかない。。。あと冷凍食品やチルド食品はわりと充実してるので時間ない日はそういうので済ませたりしてますね。

(※上記はすべて私個人の狭い見識に基づく見解であって、全てのイギリス料理を否定しているわけではないことをご理解いただければと思います。そしてブラッドフォードで美味しいお店を知っている人はぜひ教えてください切実に)

 (おすすめのカレー屋のカレー。ここは本当に美味しい。)

ここまで主に生活面の話をしてきましたが、肝心の学業の方はどうかといいますと、授業かなり面白いです。ブラッドフォードの平和学部は世界的に有名らしいのですが、さもありなん。とはいえ、授業毎に内容やカラーが違うので人によって合う合わないが分かれそうだなという感じはします。
私のイチオシの授業はDr Simon Whitby (https://www.bradford.ac.uk/staff/swhitby)の安全保障論です。国際関係論の理論をしっかりやりたい人はぜひとも取るべきだと思います。また、エッセイの書き方を授業中に詳しく教えてもらえる&ドラフトの添削も細かく見てもらえるというメリットもあります。選択授業で履修したんですが本当に選んで良かったなと。ただ、本当に理論をがっつりという感じで生徒側への要求水準も高めですし、先生ご自身がバリバリの学者肌タイプなのでそういう授業が好きな人向けですね。 
実務寄りでいうと、Prof. Owen Greene (https://www.bradford.ac.uk/staff/ojgreene)は国際機関と協働の研究実績が豊富で、講義中に出てくる事例の量が半端ないです。一体今まで何ヵ国行ってるのか……。大ベテランの教授ですが気さくな方なので質問もしやすいです。前期は安全保障と開発、今期は天然資源の授業(両方必修)を担当されています。色々な国の事例が聞きたい、それらを踏まえた議論がしたい、という人におすすめです。

気になる課題の量ですが、イギリスに来る前に私は「皆寝る間も惜しんで課題をやっていて、そのせいで過労死も出てる」というような話を聞いて内心ビビっていたのですが、少なくとも課題のせいで毎日寝不足ということはないです。普通に平均7~8時間寝ていたと思いますし、週末もわりとのんびりしていました(むしろのんびりし過ぎたかも)。
学期中に提出物が課されることは少ししかなく、日々の課題は指定文献の事前の読み込みが主になります。それもある授業とない授業があるので何を取るかによりますが、毎週毎週課題に追われて他に何も手につかないということにはならないんじゃないかと思います。履修授業以外に聴講を入れまくったりしたら別ですが。
成績評価の対象は学期末に課されるエッセイが大半(授業によっては100)を占めるのですが、こちらは私のエンジンがかかるのが遅かったせいで前期は修羅場となりました。もともと追い込まれないと筆が乗らないタイプではあるのですが、それにしても酷かった……。ただそれでも一応終わったので、多分もっと前から普通に進めていれば普通に終わる量なんじゃないかと思います(なお、終わったというのは規定語数が埋まって提出できたという意味で、無事単位が取れたかは現時点でまだ分かっていません……)。分量は3,0004,000語(日本語換算で10,000字くらい?)×3本(3つの授業で各1本)です。
また、それとは別に学期中にグループプレゼンがある授業もあります。これは評価割合が低いわりに準備に時間がかかり、また誰と組むかによってハードルの高さがかなり変わってくるので、メンバーを上手く見極めるのが最重要になります。私のチームは他のメンバーが優秀で特段大きな問題はなかったですが、他チームは色々苦労したという話を聞くので注意が必要です。

ここまで徒然と書いてきましたが、最後にこの5か月間の総括を少しだけ。
前期の自分を振り返ると、そんなに悪くはなかったですがもう少し色々なことをこなせたら良かったかなという気がしています。特に今後のキャリアについて。休職して来てるので即路頭に迷うというのがないのは有難いことですが、中長期的にどういう方針でいくのかがあまり定まってないのはちょっとマズいなあという感じです。前期せっかく聴講をせずにコマ数を絞ったのにその分の時間何をしていたのかと。 
(まあ何をしていたかというと実は明白で、ひたっっすら動画サイトでゲーム実況を見てたんですが……。)
とはいえ充電期間も大事ですし過ぎたことを悔やんでも仕方ないので、「この年になって平日昼間からあんなにグダグダできたのはむしろ優雅な時間の使い方では?」と思うことにしました。我ながらポジティブ!
 なんにせよ今期は聴講を入れてスペイン語も取ったので、後半戦気合を入れていきたいと思います。キャリアの情報収集も並行していかないとですね。あと直近では、もうすぐ西アフリカのガンビアでの研修旅行があるのでこれはかなり楽しみです(私にとっては初のアフリカです)。できればその内容もブログに書きたいんですが、残念ながら写真のアップNGなんですよね……。セキュリティ上仕方ないことではありますが。なのでそちらはあまり期待せずにいていただければという感じですね。それではまた。

(夕方の大学構内で撮影。12月頃は16時の時点でけっこう暗いです)

ブラッドフォード留学記①【イギリスというよりパキスタン?】(前編)

皆様お久しぶりです。前回投稿から半年ほど経ってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。

ここまで期間が開いた理由として、留学がスタートしてから忙しかったのも勿論ありますが、ブログで長文を書くよりもネタが出来次第ツイッターでこまめにアップしていく方が効率良いのでは、ということに(今更)気づいてしまい……。
ですが今回のようにまとまって書きたいということはこれからもあると思うので、どちらかに完全に絞るのではなくブログもツイッターも両方ぼちぼち続けていきたいなと思っています。よろしければ今後もお付き合いください。
(それと、→に表示されているツイッターアカウントを良かったらフォローして頂けるととても嬉しいです。国際協力関係の小ネタや日常の話などを徒然書いてます)。

さて、今回はブラッドフォードでの留学生活についてです。去年の9月上旬にスタートしてから現在5か月が過ぎたところです。イギリスの修士課程は1年間なので全体の半分弱が過ぎたことになります。そこで、前半の振り返りを兼ねてここでの生活や学業についてまとめていこうと思います。


(晴天のブラッドフォード。後述しますがこんなに天気の良い日は最近ではレアです。)

まずブラッドフォードの印象ですが、正直「イギリスへの留学」に憧れている人にはオススメしません。
のっけからディスりかよって感じですが、フォローしておくと別にディスってるわけではないです。ただ、「イギリス」や「ヨーロッパ」に留学してその雰囲気を肌で感じたいという人には厳しいだろうな、というのは事実なので……。
というのも、今回のブログタイトルそのままですが、ブラッドフォードはパキスタン系移民の街として知られていて、街ですれ違う人の結構な割合が南アジアの風貌をしています。感覚としては50%いくかいかないかくらいの割合です。街中にカレー屋も多く、たまに明け方にアザーン(イスラム教の礼拝の時間を知らせる声)が聞こえたりもします。私はパキスタンは行ったことがないですが、バングラデシュを思い出しますね。
なのでイギリスっぽさを感じるには不向きですが、南アジアに馴染みがあったりその辺りの国が好きな人には良い街なのではないかと思います。

イギリス味を感じないもう一つの理由として、これはブラッドフォード大学の平和学部の特色ですが、生徒の国籍がめちゃくちゃ多様というのがあります。この点は国際協力をやりたい人にとってかなりプラスではないでしょうか。
本当に色々な国から留学生が来ていて、地域もわりと全世界カバーされています。今思い出せるだけでも挙げていくと、
【欧米】アメリカ、ドイツ、フランス、スウェーデン、カナダ。【アジア】韓国、マレーシア、インドネシア、モルディブ、インド、ネパール、バングラデシュ、ジョージア、タジキスタン、アフガニスタン。【中東】エジプト、クウェート、イラン、トルコ。【中南米】ガイアナ、コロンビア、ブラジル。【アフリカ】リベリア、マラウィ、ケニア、ナイジェリア、ザンビア、エリトリア、南アフリカ。 となっています(これでもまだ絶対抜けありそう)
どの国からも1人~数人ずつ来てる感じですが、何となくナイジェリアがちょっと多めかなという印象を受けます。逆にイギリス人はあまりいなくて、イギリス人の同級生の顔が今4人しか思い浮かびません。私が顔・名前・国籍を何となくでも把握しているのがおそらく50人くらいで、その中で4人だけなのでかなり少ないといえます。

ここで学部とコース、授業の関係について説明します。平和学部(School of Peace Studies and International Development)8つのコースで構成されていて、私はそのうちの平和・紛争・開発の修士コース(MA Peace, Conflict and Development)に所属しています。その他のコースには国際関係・安全保障論(MA International Relations and Security Studies)や開発経済・財務(MSc Economics and Finance for Development)などがあり、全員どれか一つのコースに属することになります。
コースごとに必修授業が設定されていて、追加で選択授業を履修します。一学期に履修するのは必修と選択を合わせて3つです。授業はコース横断で、別のコースの必修を自分の選択授業として選ぶこともできます。例えば私が国際関係論コースの必修授業を選択するとかですね。つまり、どのコースに属していても平和学部の授業であればどれでも選択授業として履修することが出来ます(多分。全部チェックしたわけじゃないですが……)
なのでコース毎にまとまって何かするということはあまりなくて、基本的には授業で一緒になった人と仲良くなっていくという感じです。全体約150人のうち一学期の授業が自分と1つでも被るのが計50人くらい、その中でも3つもろ被りする人もいれば1つだけの人もいる、というグラデーション的な繋がりが形成されることになります。

(ブラッドフォード市庁舎と夕焼けと虹。)

さて、話を周りの留学生に戻しましょう。年齢に関して言うと、現在29歳の私から見て同年代~やや年下が主な層と言えます。これからNGOや国連を目指そうという人が多いですが、その内訳は学部卒業後すぐの人、青年海外協力隊経験者、営利企業や官庁出身者など様々です。また、少数派ですが既にNGOや国連での実務を経験済の人もいます。恐らく博士課程に進む人は稀で、ほとんどが実務家又は実務家志望だと思われます。

ちなみに、平和学部は日本人がものすごく多いです。平和学部内では最多の国籍だと思います(約20人)。なので大学内でマイノリティ感を感じることはほぼありません。そうすると日本人だけでかたまってしまい外国人の友人が出来にくい&日本語で話してしまい英語の練習にならないのでは?という疑問が出てきそうですが、残念ながら私はそもそも日本人の友人すらあまり多くないタイプ の人間なのでその点はよく分かりませんね……。参考にならず申し訳ない。
とはいえ、周りで話されているのはほぼ全て英語なので、英語で話す機会を作ろうと思えばいくらでも作れるだろうとは思います。クラブ活動が活発なのでそういうのに入るのも手です。私は入ってないですが院生で入ってる人は結構いて、サッカー、ダンス、ボクシング、乗馬など色々あります(完全に余談ですが、乗馬クラブがあると知った時は「さ、さすがイギリス~!」となりましたね。ブラッドフォードで唯一イギリスみを感じられるポイントかもしれません)。
あとは、私の場合ラッキーなことにフラットメイトの2人と気が合って、どちらも英語ネイティブなので結果的に英語の練習になってるのではというのはあります。授業外で一番英語を使ってるのは多分彼女たちとの会話ですね。フラットメイトとの相性はけっこう重要だと思うので、寮の検討は慎重にした方が良さそうです。

(全体があまりに長くなったのでここで一旦分けます。後編へ続く!)

2019年8月7日水曜日

緊急人道支援の枠組みについて【クラスター制度】


皆様お久しぶりです。気づけば夏まっただ中でものすごい気温になりつつありますが、いかがお過ごしでしょうか。令和の夏ヤバいですね。

私は一か月ほど前に日本に帰国し、今は仕事をしつつ留学準備をしてい(ることになってい)ます。この9月から一年間イギリスのブラッドフォード大学で「平和・紛争・開発(Peace, Conflict and Development)」という修士コースを受講予定です。


(ブラッドフォード市庁舎 Wikipediaより)

何といっても英語の本場イギリスの大学院への留学なので、今のうちから英語の勉強をしておかないといけないわけですが、私はもともと語学が好きじゃないのもあり何かもう全然やる気が出ない。。。というのが最近の現状です。困ったものですね。
加えて先日、勤め先の部長から「大事なのは自分の中に伝えたい内容があるかどうかだから、最悪英語力は無くても何とかなる」(※超意訳)というありがたいお言葉を頂いたので、部長がそう言うならもうやんなくていいかなぁという感じになってきており……なんてことを言うと流石に怒られそうですね。


さて前置きが長くなりましたが、今回は緊急人道支援の基本システムであるクラスター制度と、そこに関わる組織について話をしたいと思います。これまでの記事に比べると、緊急人道支援の分野で将来働きたいと考えている人向けかもしれないです。
私自身そんなに詳しいわけではないですが、自分の頭を整理するためにも一度まとめてみようということで今回ブログに書くことにしました。

この「クラスター」、英語で書くとclusterですが、直訳すると群れや集団という意味になります。平たく言うとグループですね。
緊急人道支援活動のなかには保健(医療)や水衛生、住居などいろいろな分野があるわけですが、それぞれの分野ごとにクラスターというグループを作って、同じ分野で活動する団体同士お互いの情報を共有して活動内容を調整しましょう、という仕組みがクラスター制度になります。

お互いの活動内容を調整するというのは、一般的な企業の視点から見ると少し奇妙に感じるかもしれません。営利企業は他社より少しでも多く利益を出すことが求められているため、ライバル企業と話し合って事業の内容を決めるなんてとんでもないと言われそうです。ですが人道支援の場合は営利企業と違い、必要な支援を必要とする人々に届けることが最優先です。それをどこの団体が実施するかは本来あまり重要ではありません(実際はそれでも縄張り争い的なことが発生したりするわけですが……)。そのため、ある地域にだけ支援が集中して別の地域には全く行き届かない、といった支援の重複や漏れが起こらないよう、実施団体の間で協力していく必要があるわけです。

機関間常設委員会(IASC)というところが出しているガイドブックによると、クラスターは以下の11個に分かれています。さらにそれぞれのクラスターにはクラスターリードという取りまとめ役の団体が決められているのですが、参考までにそれもカッコ内に記載しました。
①保健(WHO)、②水衛生(ユニセフ)、③食糧(WFP, FAO)、④住居(IFRC※, UNHCR)、⑤保護(UNHCR)、⑥教育(ユニセフ、セーブ・ザ・チルドレン)、⑦栄養(ユニセフ) 、⑧キャンプ運営(IOM, UNHCR)、⑨早期回復(UNDP)、⑩ロジスティクス(WFP)、 ⑪緊急時通信(WFP)
※IFRC=国際赤十字赤新月社連盟

ちなみに、クラスターの代わりに「セクター」という言葉を使うこともあります。私もこの記事用に調べていて初めて知ったのですが、この二つは厳密には違っていて、調整役としての責任をクラスターリードが負う場合をクラスター、現地政府が負う場合をセクターと呼ぶそうです(出典はこちら)。ですが、同じ分野で活動する団体間の調整メカニズムという意味ではどちらも同じです。
また、全ての人道支援活動地でクラスターやセクターが立ち上がっているわけではありません。これはあくまでも各団体間(特に国際的な支援団体間)の調整の仕組みなので、逆に言えば海外からの支援があまり入っていないような場所では要らないことになります。実際、私がこの間までいたインドネシアのロンボク島にはこうした制度はありませんでした。その場合は、各団体が自分たちで個別に現地政府や住民の方々と調整しながら進めていきます。

ここまで「調整」という言葉を再三使ってきましたが、では具体的にどんなことをしているのか?という点について、バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプを例に説明します。
(※なお、現場の状況はその時々によって変わるので、これはあくまで私が現地にいた2017年12月~2018年10月頃の情報を基にしていることを念頭に置いておいてください。また、バングラデシュの場合厳密にはクラスターではなくセクターになります。)

(バングラデシュ、コックスバザールの難民キャンプ。2018年10月撮影)

私は保健・医療分野での事業を担当していたのですが、保健セクターでは毎週水曜日にミーティングを行っています(ちなみに、このミーティングについては前回の記事でも「調整会議」という名前で少し紹介しています)。
バングラデシュ政府とWHOそれぞれの担当者が共同で運営しているもので、赤十字、国境なき医師団、マレーシア病院、BRAC(バングラデシュの大手NGO)など色々な団体が出席していました。参加人数はその時にもよりますが、多いときでは50人近くにもなり立ち見が出る日もありました。
これだけ大勢の人が参加しているので、その場で全員で話し合って何かを決めるというよりは、事前に設定されたアジェンダについて担当する団体が発表と質疑応答を行うというスタイルでした。
発表の内容は、感染症に関する最新情報の共有、キャンプ内のどの地域で支援が不足しているか、モンスーンへの対応、ワクチン接種キャンペーンについて、現地スタッフ向け医療トレーニングの案内など多岐に渡ります。
ミーティング議事録や関連資料はオンライン上で公開されていますので、関心のある方はこちらから読んでみてください。

ミーティングに参加する以外に、各団体は定期的に自分たちの活動について報告することが求められます。4Wという活動全般に関する報告と、EWARS(Early Warning, Alert and Response System)という感染症対策のためのシステム上での報告の2つを提出していました。
各団体が提出した情報は保健セクターの担当者が集計し、関係者全員がインターネット上で確認できるようになっています。それらの情報に基づいてキャンプ内の医療施設マップなども作成されていてかなり便利です。
また、薬や医療器具などが不足した場合にWHO等から物資を支給してもらえたり、逆に支援が手薄なエリアで新たに活動をしてもらえないかとセクター運営側から個別に打診されることもあります。日頃からミーティングに出席したり定期報告を上げたりすることでセクター内で存在が認知され、自分たちの事業を広げることにも繋がります。


私がクラスター制度について語れるのは今のところこれくらいですが、こうした支援の枠組みを踏まえたうえで、各個人はどのように将来働く場所や内容を決めていけばよいか?ということについて最後に少し触れておこうと思います。
私自身が今まさに自分のキャリアについて考えているところなので、駆け出しのぺーぺーの一人が抱いている今のところの印象、というくらいに思っていただけるとありがたいです。


国際機関とNGOとで比べると、やりたい分野や仕事内容が明確に決まっている場合はそれに特化した国際機関に入る方が良いのかな、と思っています。例えば保健・医療ならWHOや赤十字、食糧配布ならWFPなど。また、NGOの中でも国境なき医師団のように国際機関並みの影響力があるところもあるので、「国際機関/NGO」というよりは「大組織/中小組織」という分け方の方が適切かもしれません。
ちなみに、ここで言う「中小」はあくまで世界レベルで見たときの話です。私の所属先は日本の国際協力NGOの中では大きい部類に入りますが、それでも世界的に見て大組織ではないのでここでは中小に分類しています。

やっぱり大きな団体ほど活動規模も大きい傾向にあります。例えば我々の事業のターゲットはキャンプ内の1つのエリア+αくらいでしたが、WHOや国境なき医師団は広大な難民キャンプの全体をカバーしています。また、感染症の蔓延をキャンプ全体でどう防ぐか、というような話はクラスター/セクターのまとめ役であるWHOが中心となって対応していくことになります。

その一方で、大組織の場合は決められた分野以外のことは出来ない(WHOが井戸を掘ったりはしない)のに加えて、組織内の各個人の担当領域が明確に決められていて融通が利かないという印象があります。例えば、同じ「保護」の分野でもその中で「性暴力」と「難民コミュニティとの対話」とでは部署が完全に分かれていて、自分の担当分野以外のことは関心を持ったとしてもなかなか関われないという話を聞きました。
その点、中小のNGOはどんな分野や内容の活動でも、現地にニーズがあって自分がやりたいと思えば基本的にやらせてもらえるというのが最大の強みかなと思います。私の所属組織でいうと、水衛生や住居などで特に実績が多いものの特にその分野に限るということはなく、その時の状況に合わせて柔軟に支援内容を決めることが出来ます。
また、色んなことを自分一人でやる必要が出てくるので、様々な能力をバランスよく伸ばすことが出来るのも利点です。

……書きながら、「この辺の話って普通の大企業とベンチャーにも当てはまるのでは?」という気がしてきました。そう考えるとあんまり新鮮味のある話ではないかもしれませんが、まあ一般企業で言われていることが緊急人道支援でも成り立つんだなと思っていただければ。
あとは、これも普通の企業と同じですが、NGOも国際機関も団体ごとにカラーの違いが相当あると聞くので、最後はそれぞれの団体の人に個別に話を聞くのが一番かなと。特にNGOだと、その団体の理念に共感するかどうかはけっこう重要だなと最近感じています。


今回はなんだかちょっと固いというかニッチな話だったので、次回はもう少しやわらかい話を書こうかなと思います。駐在員は現地でどんな家に住んでるのか?とか。まあまだ何もかも未定なんですけれども。それではまた。

(先日訪れたマレーシア、ランカウイ島の夕焼け)

2019年4月3日水曜日

緊急人道支援NGO駐在員の仕事【バングラデシュ難民キャンプ】

皆様お久しぶりです。2月中どころか気づけば4月に入ってしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。
私はというと仕事で色々とあるのに加えて、先月猫に引っ掻かれて狂犬病ワクチンを追加接種する羽目になる(詳細はツイッター参照)など、波乱万丈な感じの日々を送っています。

さて今回は、というより今回もバングラデシュ事業の話です。ただし前回は主にデスク担当のことを書いたのに対して、今回は現地駐在としての仕事内容について書きます。

(バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプの様子)

私の所属している部署は「緊急人道支援」をメインで行っています。緊急人道支援とは、災害が起こった際にその被災者に対して行う支援活動のことを言います。
この災害には紛争(人災)と自然災害の両方が含まれます。また、災害発生直後の活動もあれば、数か月や場合によっては数年経過している地域での活動も含まれます(「緊急」という言葉のイメージからはズレていますが、例えばシリアなどは8年以上紛争が続いているためずっと緊急人道支援から抜け出せずにいます)。一口に緊急人道支援といっても国や事業によって内容が大幅に変わるため、ここに書くのはあくまで一例として考えてもらえればと思います。

バングラデシュ事業は、2017年8月に起こったロヒンギャ難民の大流出を受けて立ち上げられました。隣国ミャンマーのラカイン州というところでミャンマー軍と少数派のロヒンギャ族過激派が衝突したことをきっかけに軍によるロヒンギャ族への弾圧が行われ、60万人以上の人々が難民としてバングラデシュのコックスバザール県へ押し寄せることになりました。

この事態を受け、私の所属団体は現地の医療団体と提携して、まずは巡回診療を開始しました。難民キャンプ内の居住エリアを回り、屋外に椅子と机を並べて診療するという活動です。それからしばらくして、診療所の建設と運営も始まりました。
私は9月の立ち上げ時からデスク担当(*)として携わっていましたが、12月に駐在の方が一時帰国することになり、初出張で一か月間現地へ行くことになりました。
(*)デスク担当の仕事内容については前回の記事参照。

難民キャンプに行くのはこれが初めてでしたが、「家がものすごく密集している」というのが第一印象です。
大流出よりも前から逃れてきていたロヒンギャの人々や元々その土地に住んでいるバングラデシュ人の人も含め、キャンプ全体で100万人以上が生活しています。簡単な店や市場もあって、一見にぎやかな普通の村のようにも見えます。ですが、治安を管理するバングラデシュ軍やたくさんの国際NGO・現地NGOの姿が見えるという点は普通の村と異なります。

(家がひしめき合っている様子。ここだけでなくキャンプ内の多くの場所がおおよそこんな感じです)

もともと森だったところを伐採して急ごしらえでキャンプが作られたので、土砂崩れの危険があり土埃もすごいです。エリアによってかなり環境が違っていて、比較的整備されているところもあれば場所によっては水衛生が全く整っていないところもありました。
これだけの数の人々に対して自分にどれだけのことが出来るのか、ということを考えながら、目の前の仕事に奔走するうちにあっという間に出張期間が過ぎていきました。


その後日本に戻ってまた数か月間デスク業務を行ったのち、昨年5月から駐在としてバングラデシュに赴任しました。この頃になると出張時に比べて多少キャンプ内の環境が整ってきているようでした。緊急人道支援の活動には色々な時期のものが含まれると冒頭で書きましたが、どのフェーズの活動かによって事業内容も個々人に求められるものも違ってきます。
災害発生直後は混乱した状況の中でとにかく大量のニーズに迅速に対応することが求められますが、発生から半年以上経過したこの時期では、長期的・安定的に活動していくための基盤を整えること、また活動自体の質を上げてより細やかなニーズに対応することが要求されます。

駐在としての仕事内容は色々とありますが、一言で言えば「事業運営」です。もう少し詳しく書くとおおよそ以下のようになります。

・現場視察 
・各種報告書作成・会計管理
・ニーズ調査、新規事業立案/事業拡大
・調整会議への出席 

この中で、「調整会議」という言葉はあまり馴染みがないのではないでしょうか。
緊急人道支援の場合、災害が起こった後に様々な支援団体が一斉に被災地に入ることになりますが、そうすると当然支援内容が被ったり逆に不足する領域が出てきます。そうした事態を防ぎ、かつ迅速に支援を行うために、それぞれの団体の活動内容をお互いに把握して調整するための会議が行われます。それが調整会議です。医療・水衛生・食料・住居といった活動の分野(セクター)ごとに行われることが一般的です。私は医療と、その下部セクターであるメンタルヘルスの調整会議によく出席していました。
バングラデシュの難民キャンプに関する調整会議の内容は以下のサイト上で一部公開されているので、関心のある方は閲覧してみてください。
https://www.humanitarianresponse.info/en/operations/bangladesh


(これはイメージ画像です。会議の種類にもよりますが実際はもっと多くの人が参加しています)

この調整会議を通じて、自分の事業からだけでは得られない様々な情報を得ることが出来ます。広大なキャンプの中のどの地域に、またどの人々(年齢・性別等)にどんなニーズや課題があるかを知ることで自分たちの活動に活かすことができ、新規事業を考える手掛かりにもなります。また、ビザやセキュリティなどについての情報も得られます。

そんな有益な会議ですが、約半年間出席した感想はというと。
難易度たっか!!!
この一言に尽きます。
もうね、まず英語が速すぎるんですよ。会議の参加者は国連機関か大手NGOのスタッフがほとんどで、常日頃から英語で仕事をしている人達なわけです。それに加えて私は専門知識もない状態で飛び込んだので、初めの頃はついていくだけで至難の業でした(というかスライドや議事録が無かったら詰んでいました)。

ちなみに、会議で使われるのはベンガル語でも、ましてキャンプの住民間で使われているチッタゴン方言やロヒンギャ語でもなく、圧倒的に英語です。これはおそらく複数の国際NGOが入るような現場であればどこも同じです(フランス語圏を除く)。災害発生後すぐに支援を開始することになるため、支援団体スタッフが現地語を習得する時間がないからです。事業を実施する際は英語のできる現地スタッフを雇用するか、提携団体の英語のできるスタッフを通じて意思疎通をすることになります。

現地語を習得せずに英語で仕事ができるのは便利な一方で、会議が早口の英語で行われ、また多くの場合外国人(バングラデシュ人以外)がリードするため、現地の中小のNGOが排除されているようにも感じました。実際会議に出ているのは国際NGOか大手の現地NGOがほとんどで、現場で見かける中小の団体はあまり出席していなかったように思います。
……まあ、結局そう思ったところでそういう意見を出して変えていくためにはもっと発言力をつけないといけないし、そのために英語や専門知識をもっと磨いていかないといけないわけですが。(私本当に英語好きじゃないんですけどね……)。
緊急人道支援を志す方は、もう耳にタコだとは思いますがやっぱり英語は必須なのでお互い頑張っていきましょう。
(2019/4/3追記)
同業の方曰く、緊急人道だけでなく開発分野でも調整会議は存在するそうです。そしてそちらも英語(又はフランス語)で行われるとのこと。なんか余計世知辛い……。まあ語学苦手な人間にとっては現地語覚える方が大変なので良いっちゃ良いんですが。英語サボりがちなのでもっと頑張ります。。。
(追記終)

ここまで書いて、「そもそも医療分野の事業なら患者さんを診たりするのが一番の仕事なんじゃないの?」というもっともな疑問を持つ方もいらっしゃるのではないでしょうか。
結論から言うと、私は医療従事者でないので医療行為は一切していません。実際の診療については、現地の医療事情にも詳しいバングラデシュの医療団体が担っています。また、医療以外の活動、例えば今担当している水衛生分野の活動であったとしても、実際に給水活動や工事などを行うのは主に現地スタッフの仕事です(フェーズや事業内容によるので一概には言えませんが)。

現地駐在は実際に体を動かして働くというよりは、それをチェックしてマネジメントすることが仕事になります。いわゆる管理職のような立場です。管理職であるため、提携団体や現地スタッフ、支援対象の人々、同業の他団体、現地の行政や軍などなど、多数いる関係者間を調整する力が重要だと感じます。また、事業全体を見渡して足りないところやもっと伸ばすべき部分を見極めて実行に移す決断力も大事だなと。自分の手で事業を回せる、状況の変化に応じて自分で判断して動けるというのは現地駐在の大きな魅力の一つだと思います(そういう意味では起業家に少し近いかもしれません)。

ただもちろん、管理職とはいっても現場を見ないというわけではありません。セキュリティの問題で入れない事業地を除いて、基本的に現場にはよく足を運ぶべきと言われていますし、やっぱり現場を直に見れることは駐在の良いところです。それこそ難民キャンプなんてこの仕事に就かなければ縁のない場所であって、それを自分の目で見て知ることでたくさんの気づきを得ることが出来ます。将来的に本部部署で働くことになったとしても、現場経験が有るのと無いのとでは仕事の結果もかなり違ってくるだろうなと思います。

そうして約半年間バングラデシュ駐在として過ごしたのち、インドネシアでの事業が人手不足だったことなどの理由で11月からそちらの担当となりました。今も駐在としてロンボク島に滞在しています。
同じ現地駐在といっても、こちらの事業は開発寄りの活動なこともあってかなり仕事内容が異なります。今回書いたことも、一部は当てはまりますが当てはまらない部分も多いです。そちらについてはまたの機会に。